ある日の午後に…

 夏の終わりに憂鬱なことを考えながら自転車に乗っていたら、警察官に呼び止められた。まるで、憂鬱な顔と憂鬱な思想を取り締まる、「憂鬱」警察があるかのごとき絶妙なタイミングであった。出勤途上の白昼の住宅街のことである。
 よくある自転車の防犯登録チェックかと思われたが、わざわざパトロールカーを止めて降りてきた警察官二人は、財布の中身を見せてくれと要求してきた。言い方は実に丁寧ではあったが、語尾には逆らえないような強さがあった。
 ここで拒否すれば、私もあの有名芸能人の夫のような扱いを受けるのかもしれないなと、ぼんやり思った。その時の私は、あまりに憂鬱な思想(=「そういえば、あの子は元気かな・・・」と同様な内容)でいっぱいだったので、さしたる抵抗もせず、眼前の出来事をどこか遠くの世界で起きている画像を見るような現実感の無さをもって眺めていた。
 あの夫は路上と公衆の面前で、見せろ・見せないの二時間にのぼる尋問を受け、任意による所持品の検査の結果により逮捕されたという。二時間か。一般の市民なら耐えられない時間であろうな…。
 その夫妻に関するかなり膨大な報道の中で、任意による捜査の有効性について言及するものは、私が見聞する限り一つもなかった。起訴や不起訴の可能性から量刑の算段、薬物依存からのリハビリテーションの成否など実に事細かな論評があったにもかかわらず、である。
 私と同い年ぐらいの警察官は、私の財布の中をめくり、使いかけのテレホンカードやオレンジカード、クオカードや居酒屋のクーポン券等々(ああまだそんなカードが財布に残っていたのかと持ち主をひそかに感嘆させながら)を検分し、私の名刺にはさしたる関心を見せないまま立ち去った。ご丁寧な「送辞」を添えて。
 夏の終わりの湿度の高い午後のことである。