2013年11月

11/30・土
 今日も晴れた。川崎の伯母が来る。須見伯母は植木弄りが好きだから、茶毒蛾農場となっていた椿の木をばっさばっさと剪定す。吾人も夕方まで手伝わされた。


11/29・金
 今朝は流石に冷えた。金曜会でステヰキのニクソンに行く。その後、元店長の店に長居しているとママさんバレーの一団もやって来た。大声を交わし次次に盃を空けていく。旦那と子どもを寝かし付けた後の週末の息抜きなのだろう。素行不良で除隊させられた女下士官のようで何だか賑やかだった。三時半帰宅。


11/28・木
 午後出社。例によって此の時期の大貧学院は保護者面談期間である。「ところで先生は何処の大学出でですか」と問われたので、神妙な顔をして「国道沿いのラーメン大学の出身です」と答えたら、妙に感動された。割と早く帰宅す。


11/27・水
 概ね晴れ。午後出社。仲田大将来たる。漸く最終電車に押し込むと、帰宅は一時前となる。


11/26・火
 モームを読んで外に出ると綺麗な月まで出ていた。一方、夢の中では英単語が氾濫し熟睡出来ず。此れだから変な事はするものではない。
 前線が通過した割に暖かい。起こされた序に紅葉を見に行こうと、奥多摩の御岳山まで出掛けた。青梅での接続が悪く、御嶽駅までは二時間近く掛かった。西東京バスとケーブルカーを乗り継ぐ。紅葉の見頃は過ぎていたが、まだまだ楓の葉は枝にしがみ付いてくれていて助かった。
御岳山は静かなところだ。縦走のハイカーなども散見されるが、ケーブルカーも三十分間隔で足りているようだし、連絡バスも一台で十分、駐車場もガラガラである。平日であることを勘案しても人が居ないと思った。高尾山の百分の一くらいの人出である。
実を言うと、ケーブルカーを運行する御岳登山鉄道は高尾と同じ京王グループの一員である。売店や食堂なども持っている。もう少しPRをしてもよさそうだが、根元のアクセスがJRであるから、京王としては面白くないのかもしれない。JRも色色と宣伝はしているようだが、青梅から先が何時もの中央線の車両だから乗っていても詰まらない。どの途、青梅で運行系統は分断されているのだから、専用の観光車両を作るべきであると思った。
 神社の麓の食堂で一本七百円の大瓶を飲み、九百五十円の天麩羅蕎麦を食べて、帰路に就く。思いの外、外国人観光客が多い。習いたてのモームイングリツシュを早速披露したかったが、英会話で役立つところはなし。同じ英語の学習といっても、英文解釈と英会話では、理科でいうところの物理と生物ぐらいの開きがある。全くの別科目として捉えるべきであると思った。
 青梅線で居眠りをし立川で南武線に乗り換える。稲田堤まで超満員電車となる。南武線というのも不思議なもので、何時乗っても、どっちに向かっても、何時も混んでいる。それでいて運転本数が全く少ない。数少ない南北の連絡線なので乗車効率も良い筈だが、ダイヤグラムも駅施設も、国鉄時代のまま取り残された感じである。御岳土産の刺身こんにゃくも危うく人肌になるほどの混雑で、紅葉狩りの気分も飛んで行って仕舞った。


11/25・月
 退社後はいつもの立ち飲み中華屋に。前線が接近しているというので、勝手にチャンネルを変えて公共放送のデータ放送を注視する。八王子辺りから愈愈近づいて来たというので早めに退散す。併し敢え無く、雨雲に真正面から突っ込む形となる。全身ずぶ濡れの這う這うの体で戻ると、家に着いた途端に綺麗に止んで仕舞った。もしも自転車が船で、而も其の船の名前が洞爺丸だとしたら、一大遭難事故に至っていたであろう。熟熟自転車乗りで佳かった。どうもデータ放送の雨情報は実態とかなりの時間差があるようである。
 結局殆ど飲まずに帰ったので、勉強時間が作れた。実を言うと少し英語を勉強しようと思っている。併し今更英会話の学校に通い、「すいませんシャワーのお湯が出ないのですが見に来ていただけませんか」とか「ところでJFK国際空港に行くのには何番のバスに乗ればよいのですか」などと馬鹿みたいなことを聞いたり話したりするのはイヤである。
矢張り英文を読もうと思う。サマセットモームの「サミングアップ」を原書で取り寄せてみた。なぜモームかというと、高校三年時の英語教師に実に一年間モームを読まされたから、英文解釈といえば今だにモームである。確か松下といった老先生は、モームモームの一点張りで、モーム爺さんと陰口を叩かれていたと思う。モームで英文解釈をするというのは、二十年前の段階で既に時代遅れであった。併しイギリス流のユーモアとどぎつい皮肉のある文章を、吾人は結構気に入ったものである。松下先生は御存命ならば八十以上といったところであろうか。モームが流行った時代の最後の最後を、吾人は橙隠学園で経験したのだと思う。併し原書では幾らも読めず。急いで辞書を引く。引いた単語の先先には、既に過去の吾人が印をつけた形跡がある。ということは以前より英語力が相当落ちているのだと思う。取り敢えず岩波文庫の訳書も併せて読むことにした。


11/24・日
 天気が良いので何処か遠出をしようと思った。併し今からでは大したところには行けない。せめて異国気分を味わおうと中野まで自転車で出掛けた。実を言うと此処は外国の入り口である。といっても餃子の満洲国であるが。此の餃子の満洲にしろ、中華の福心にしろ、中央線より上、西武線沿線と城北地区には独自の飲食チェーン店が多い。併し目黒世田谷辺りには一店もない。だから十分遠くへ来たつもりになる。
尤も「三割うまい」という焼き餃子の味は其れ程でもなく。餃子という物は、そもそもが家庭料理なのであって、上限値と下限値が其れほど離れていない食べ物である。鳥肌が立つほど旨い餃子もなければ、口に入れた途端に震えが来るほど不味い餃子というものも無い。餃子の他には炒飯を食べ、再び一時間かけて帰国した。


11/23・土
 一日晴れ。一日無為。


11/22・金
 一号室の換気扇が壊れたというので買いに出掛けたが、地元の大型スーパーでは取り扱いをしなくなったということで購入できず。電気屋も覗いたが在庫がないとのこと。取り寄せてくれるというが、それなら通信販売と何ら変わらない。必要なのは正しく今である。結局四キロ離れた量販店まで足を延ばした。
午後出社。中学の期末試験は全て終了。それにしても学期の終了までまだ一か月もある。試験の前倒しも大概にして欲しいものである。退社後は意中の人に振られた仲田大将に引き連り回される。家に着いたら四時前であった。


11/21・木
 一週間ずっと晴れ。午後出社。月波君現わる。久久に晴雷亭から飲み始める。


11/20・水
 割と近くのスーパーマーケットが建て替わったというので行って見る。併し特売目当てのお客が満員で入れず。一方、旧店舗の方は期間限定の一種の資料館のようになっていたので入って見た。丁度二十年前のチラシが展示してあった。値段を見ると今の方が安い物もある。如何に此の間のデフレーションが酷かったか想像に難くない。
 午後出社。元店長の店で再びオムライスを食べて帰る。帰りがけに巡査に掴まる。今日二度目である。声を掛けてきた巡査も先月と同じであった。


11/19・火
 日に日に陽が傾き、夕方が早く訪れる。晴れていても晩秋は何だか憂鬱な時期である。只、直ぐに暗くなる点は佳い。野菜を掻き集め適当な鍋料理を拵えて、割と早くから飲み始めた。


11/18・月
政府のやることなすこと全てを丸裸にして仕舞うと、纏まる筈の外交交渉も纏まらなくなる恐れというものもあるにはある。而し何十年か経てば、外交文書の類も含めて全て公開されるべきであろう。その点、前政権は沖縄返還に関する秘密文書を公開したのだが、どういう訳だが当時の評価はあまり芳しくなかった。何れ元の民主の澱みを恋しく思う時が来るかもしれない。それにしても、政府与党が国家主義的な法案を次次と出し、野党の全てと多くの国民が其れに反対する。数十年来繰り返されて来た古い政治に戻って仕舞ったと思う日日である。もしも其の無意味な攻防に何かしらの安定を感じて仕舞うとしたら、我我の精神の退廃を示すものであろう。
事故当時、亜米利加が暴走を恐れたという四号機であるが、漸く燃料棒の搬出が始まる。一日に四本ずつ、取り出すだけで一年掛かるという。何とか此れ以上の事故の無いよう、熟練したクレーン操作員に進めて貰うしかない。原子力の事故の処理という前人未到の作業に臨むのだから、操作棒を握る手の汗の量は大変なものであると思う。金槌すら満足に握れない吾人には、丸で気の遠くなるような道程である。何とか上手くやって欲しいと祈るのみである。
一日晴れ。午後出社。中学校の定期試験が近い。不定詞から音楽記号まであらゆる質問が飛び交う。忘年会シーズンの居酒屋のような忙しさであった。退社後は元店長の店でオムライスまで食べて帰る。


11/17・日
 人生色色と唄った歌唄いが先日亡くなったが、御自身の年金記録の実に不自然な点を、人生色色会社も色色と誤魔化した元首相の一件を思い出す人は少ないようである。それにしても元首相は民間人ながら今や反原発の旗手である。矢張り、世の中の何かしらが倒錯しているように感じるのは、吾人だけでは無いと良いのだが。
 一日晴れ。秩父か何処かに出かけて新蕎麦でも食べたかったが、結局一人では行く気になれず。近所の蕎麦屋に行って御仕舞とした。食前食後は大きなフォークを使って地面にへばり付いた枯草を引っ剥がす。家人風邪を引く。晩食の調達に奔走す。


11/16・土
 まとめて買うと安くなるというのは世間の常識のようだが、どうも万国共通という訳では無いらしい。今日の稼ぎで明日の食料を買うような貧乏な国では、物をまとめて買うことが出来るのは御金持ちだけだから、却って割増代金を請求されるのだと何処かの新聞記事で読んで感心したことがある。御金持ちも下手に値切ったりはしないそうだ。トリクルダウン方式で世の中に御金が回るとも思わないが、世界の商習慣には色色と考えさせられるものもある。
 一日晴れ。夜に結構大きな地震。真下からがつんと揺られると案外恐ろしい。以後小地震多し。


11/15・金
 佳く行く中華立ち飲み屋のガスファンヒーターは大部前から半壊れしている。御酒を飲んでいるつもりで、実は一酸化炭素を飲み込んでいたら大変危険である。隣の空き家で失業中のファンヒーターを譲渡しようと思った。小雨の中、バスと電車を乗り継いで搬送す。雌伏三年、再就職先を見つけることが出来てよかった。返礼として梅酒二本貰う。
退社後は、仲田大将と意中の人に引き回される。しかし大抵の金曜日になる頃は飲み疲れて仕舞って幾らも飲めず。二時半頃退店。贅沢してタクシヰで帰宅。1700円。


11/14・木
 概ね晴れた。そんなに飲んだわけではないが相当酔って帰った。


11/13・水
 一日冬型の晴れ。午後出社。夕方からくしゃみと鼻水が止まらなくなる。何処にも寄らず。詰まらないものしか売っていないイオン系のミニスーパーで、詰まらないものを買って帰った。


11/12・火
 フィリピンの台風禍は史上最悪規模だという。それにしてもフィリピンという国も不思議な国である。別に鎖国をしている訳でも、軍人や宗教家が威張り散らしている訳でもない。ずっと開放経済なのに、ずっと国民は貧乏のままである。フィリピンの人は大勢身近で働いているのに、メードインフィリピンの品物はバナナ以外見たことがない。幾ら大勢で他の国に稼ぎに行っても、折角稼いだお金が国内に循環も蓄積もされないのだと思った。
 一日寒い。寒気が流入し雲が立って晴れないから猶更寒い。溜まった日誌を整理す。


11/11・月
 どうも風邪を引いたよう。鼻から喉をやられるという何時ものパターンである。安静にして出社。午後は寒気が入って一雨あった。以後劇的に寒くなる。一並びは立ち飲みの日だというので少し寄って帰った。こうなると一杯目から焼酎のお湯割りである。
 帰宅後、韓国経済を取り扱った公共放送の番組を録画して見た。グローバル化にうまく対応したように見えて、韓国社会は激しく分裂して仕舞ったという。思い起こせば戦前の日本もそうであった。都市と農村、中でも東京の銀座と東北の寒村の格差は酷いものであったし、同じ都市の中にも貧民窟が広がっていた。国内の貧乏を放置する一方、満蒙は日本の生命線だと大陸深く進出してあの惨事に至ることになる。やはり大事なのは内需であり、内需を支えるのは中間層であると思った。


11/10・日
 朝方に茨城で震度五弱。都内も四に近い三くらい揺れた。此処の所また地震が多い。起こされ序に散歩に出た。最近は余りやらないが、所謂出鱈目散歩である。世田谷線京王線を乗継ぎ若葉台下車。此処を起点にバスに乗る。どういうわけだか一日二本だけ柿生行がある。しかも神奈川中央交通。十五分待って乗車。多摩ニュウタウンの整然とした一角から、道路が格段に悪くなると、川崎市に入ったことが分かる。柿生は川崎市麻生区である。橙隠学園の北の玄関口で吾人にも多少の縁がある。駅前は当時と丸で変わっていなくて吃驚した。依然としてまともなバスターミナルすらない。どこかの田舎の廃線跡のよう。その後、川崎市営の溝の口行を見つけ、終点まで乗り通した。駅横の元闇市街の古本屋を覗き、高津で蕎麦を食べて帰った。交通費およそ千円の気分転換である。
 今日は一日南風但し曇り勝ち。冷たい蕎麦と麦酒で体が冷えたのか、午睡から起きると喉が痛い。御酒も控えめにして割と早く寝た。


11/9・土
 午後ぼんやりしていると電気工事人が大挙して押し掛けて来て、隣の家の引込線が垂れ下がっているので、直させて欲しいという。どのみち空き家だから、直さなくてもいいというと、ブレーカーの手前までは電気が来ているので、きちんと固定した方が漏電感電の心配もなくなるとこと。三人がかりであっという間に直して帰った。
それにしても、空き家の末端まで良く点検し、直しに来たものだと感心す。其の一方、電気の源流の方は有名な博士や優秀な技術者が建てたにも関わらず惨憺たる状況に陥ってしまった。日本社会が何とか持っているのは、無名の人が偉いからだと何かの本で読んだことがある。今一度本末転倒させて見たら丁度良くなると思う。
一日暗い曇り。結構寒い。フィリピンに上陸した台風30号はレイテ島を目茶目茶にした模様。隣のセブ島には、確か咲子さんが語学留学している筈だが、当地では地震もあった。こう自然災害が多くては、勉強どころではなさそう。心配なので、電子メールを打ってみようと思う。


11/8・金
 概ね晴れた。午後出社。つい飲みすぎて帰る。一時半帰宅す。


11/7・木
 午前中は雨。夏の終わりから延延と出し続けて来た剪定ゴミも漸く今朝で尽きた。最終便を小雨のなか見送った。御午には止む。以後曇り。午後出社。今年六回目の給料支払われる。此れで一般的な年金支給の速度を多少上回った。新入生の入会金と教材費が横滑りしてきたのだろう。


11/6・水
 中国で爆破事件相次ぐ。此処まで開いてしまった経済格差を、税制や社会政策で修正できれば佳いが、出来なければ絶望した人人は益益自棄になって暴力的な行為に至るかもしれない。そしてもう一度革命が起こっても一層不思議ではないと思う。正にマ博士の予言の通りである。一日曇り勝ち。午後出社。少し新入生もいるので、割と真面目な顔をして仕事す。十二時少し前に帰宅。


11/5・火
 連休も終わって漸く一日晴れた。二号室に瓦斯焜炉を設置する。幸い入居者は直ぐに決まって佳かった。


11/4・月
 午前中一瞬だけ出社し先日の漢字検定の答案を発送す。その後、川崎の市民祭りに鶴木さんらと向かう。会場の川崎球場辺りは行ったことはないが、競輪場の施設なども何だか古くてうらぶれている。駅前は随分前に綺麗になったし、その反対側も丸で外国の百貨店のようになっているが、此処は丸で昔の川崎である。屋台で御酒と御つまみを買い、皆で薄汚れた競輪場のスタンドで食べて飲んで話した。
その後一同を引き連れ、京急川崎近くの「丸大ホール」に案内す。此処は古くからある食堂兼酒場で、確か数年前に建て替えた筈だが、以前と同じような佇まい。食堂なので御つまみから御飯物や麺類までふんだんにある。前掛けをしたおばあさん方が、きびきびと飲食物を運び、酔っ払いをあしらう。川崎という街は、元元はこんな感じであったのだと思う。昼から散散飲んで雨にも降られたので、割と早目のお開きとなった。九時帰宅。


11/3・日
 電気代を一割上げたところ、どこの電力会社も黒字になったとのこと。此の程度の値上げで済むのなら、原子炉を全て捨て去ることに反対する人は少ないだろう。
日本シリーズは仙台の球団が制した。大変結構なことではあるが、大車輪の活躍を見せたマ投手は、来季は海を渡って仕舞うという。縮小する日本ではもう給料が払えないから仕方がない。日本の職業野球も亜米利加のファームであり、やられていることは金の力にものを言わせた略奪農法である。一日概ね晴れ。多少自転車で出かけた程度。贅沢の次は粗食に限る。昨日の残りの豆腐を温めて食べた。


11/2・土 
 一日曇り。雨も少し降った。荒物屋の閉店セールで南部鉄器の鉄鍋を買ったので、夜は鋤焼きにした。鍋料理をする時の豆腐だけは専門店で買うことにしている。近所の豆腐屋が一軒残らず無くなって仕舞ったので、隣町まで自転車を走らせた。又肝心の鋤焼きの方は、鍋の運用に気を取られ味付けが今一つであった。


11/1・金
 一並びの日。元人気首相は原子力発電は間違いであったと方方で宣まっているらしいが、ならば御自身の労働政策も対米外交も間違いだったと反省して欲しいものである。それにしても、元人気首相と、元元は人気があったがあっという間に不人気になってしまった元首相、どちらも言っていることは同じなのだが、圧倒的に耳目を集めるのは前者である。暴走する原子力と直接的に闘ったのは後者である筈なのに何とも可笑しな話しである。
午後出社。漢字検定監督業務の上、無責任社長が商店街の通夜に行って仕舞い、大変忙しかった。疲れを取るうちにすっかり飲み過ぎる。四時頃帰宅。朝刊配達の二輪車と沢山すれ違う。大幅に遅延した終電車と始発電車が交錯するようで、何だか恥ずかしかった。