2014年4月

4/30・水
 消費税率の引き上げから一か月経ったが、今のところ経済が縮小するような現象は見られない。首相の支持率が下がらないのは至極残念だが、取り敢えずは結構なことだと思う。こんな事ならもっと早く増税すべきであった、というような声も聞こえそうである。
現に吾人も無頼派になったように、大量にお酒を飲んでは、そのたびにトイレに流している。もしも世人の多くがそんな感覚だとしたら、いずれ収束に転ずることがあるかもしれない。 断続的に雨。止み間に自転車出社。復路はバスを頼った。


4/29・火
 昭和の日である。昨年は主権回復の日などという下らない行事をしていたが、今年は無いそうである。スーパーのチラシを見ると、昭和のグルメを勧めていた。スパゲッティナポリタンや、牛豚合挽きのハンバーグなどである。こういう振り返り方ならば、物言いも付かないであろう。少し剪定す。それ以外は無為。夕方から雨。

 
4/28・月
 テレビを見ていると、保険に続いて投資を進めるコマーシャルも多いことが分かる。銀行に預けるより少しは儲かることを唱っている。日本は代代間接金融が主だったはずだが、銀行は御金を貸すところがなく、結局日本の国債を買っているだけである。だから金利はずっと低いままである。それじゃあ詰まらないからと、直接投資を促しているのだろうが、お金を集めたところで、今更此の日本国内に投資する所があるのだろうか。概ね買い物ビルディングや超高層マンションの建設資金に回るのだろう。つくづく迷惑な話である。それにしても、投資をする対象は、自然エネルギーを於いて他にはない。回収効率も悪くない筈なのだがそういう話は稀である。
一日概ね晴れ。午後出社。退社後は中華立ち飲みのみ。中量飲酒に留めて帰った。


4/27・日
 一日晴れ。ここ数日初夏の気候となる。草取りをしながら昨夜の旅番組の録画を見た。例のバスだけを頼って行くという番組である。実を言うと、路線バスしか乗らないという番組ルールを除いては、吾人の無用の旅行に似ているので、毎回楽しく見ている。今回は春の瀬戸内だったから、景色も美しくて佳かった。
 TPP交渉では豚肉の関税を安くしろと散散責め立てられたらしい。肉が安くなって喜ぶのは外食チェーンぐらいであろう。夜は鰹の刺身と連子鯛の塩焼き。旬のものだから家人の分と合わせても千円もしない。明るい内から飲み始める。こうなると日本酒である。


4/26・土
 久久に何もない土曜の予定だったが、無責任社長が帰省中とのことで、夕方厭厭出社す。点呼と施錠作業のみ執り行う。担当授業は無いので、ぼんやりしていたところ、居酒屋バーIの経営者から電話があり、同窓の人=綾子さんが来ているとのこと。早速行って見ると、普段はカウンターの中に居る綾子さんが、今晩はお客として来ていた。つまらない筈の土曜の夜は一転して豪華になったが、結局大量飲酒の大量消耗である。どうも店の営業戦略に乗らされている感がある。一時半ごろ帰宅す。


4/25・金
 午後千寿校に出校。高校数学を担当す。因数分解も数Ⅰともなると、次数を整理して、たすきに掛けねばならず、案外難しい。この授業も本来は前任者が担当すべきものである。前任者は、先月末に突然出勤しなくなったのだという。詳しい事情は知らないが、教室には膨大な彼の書物が積んである。書名を見るとハイデガー博士や道元禅師のものもある。吾人でも滅多に手を出さない難しい本である。こういう本ばかりを読んでいるうちに、あちらの世界に連れ去られて仕舞ったのかとも心配す。
数字で混乱した頭を休ませようと、飯田橋に回航し月波君と会う。もう十時を回っているので大急ぎでチェーン居酒屋「さくら物産」に入る。刺身を食べ、少し飲んだと思ったら、店員がやって来て閉店時刻であるという。全く飲み足りず。そこで駅前の屋台で缶麦酒を飲んでいると、今度は巡査がやって来て、何やら店主と話をしている。すると店主は110番通報されたので、もう閉店しますと言う。屋台は無許可営業には違いないが、そんなことで一つ一つ通報する方も可笑しいし、わざわざ出動してくる方も方である。米国大統領も詰まらない顔をして離日したから、都心の警察署も相当暇であると思った。何をやっても旨く行かない一日である。貧相な顔をして最終電車の二つ手前で帰った。


4/24・木
 現政権は、米国大統領に南の無人島は安保条約の範囲内にあると宣言して貰って満足そうである。これとて、日中関係が此れほど悪化していなければ、そもそもが不要の課題である。不要の課題をわざわざ拵えて、その安定に苦心しているのだから、御目出度い話に違いない。都心を封鎖し、市民生活を不便にしてまで会議をするのならば、米軍を再配置して沖縄の基地を減らすだとか、核と貧乏と歴史的無知の無い世界を作るだとか、もう少し発展的な内容を議論して欲しいと思った。またTPPは継続審議になったとのこと。こちらは結構な話しである。牛や豚をこれ以上売りつけられても、頭と心臓の血管が詰まるだけである。ひょっとしたら、薬と保険まで売り込む予定かもしれない。
 午後出社。今年の中学一年生も一段と御行儀がよろしくない。こういう生徒を何十人も相手にする公立の先生はもっと大変だろう。吾人の経験上も、中学校ほど酷い空間は無かった。退社後は中華立ち飲みと居酒屋バーIに。同窓生はいないが、嫌なことを忘れるよう、天屋先生らと飲んで帰った。


4/23・水
 芥田先生が編集した「大学史」を読むと、評判の悪いマスプロ講義から、如何にして少人数教育に移るか、鳳生大学当局も大変に腐心していたかが分かる。狭隘なキャンパスと少ない予算で、どうやって校舎を建て増しし、教員を確保すべきか。戦後の私大経営は押し寄せる学生との闘いの歴史でもあった。(本文中の「ある総長のかなしみ」参照。「なんといっても、私立大学で一番いやなことは、お金がないということである。設備がわるい、教室が足らない。教授が不足だ、待遇がわるい。・・・大学はどうしてもその経営の資金を得るために、たくさんの学生を入れねばならぬ。・・・少数の学生で十分な設備で教育したいのはもちろんであるが、マス・プロダクションという近代的な生産方法によるしかないのである。・・・私は〔みずからの知力とみずからの財力によって学校を作った〕慶応の福沢、早稲田の大隈、同志社の新島をもって自分の地位を考えてみたが・・・この方法を通じて得る結論はいつでも救いがたい絶望であり・・・ただ、私は、無限にかなしいだけである。」)
とはいうものの、学生代表の吾人としては、何だか忸怩たる思いもある。幾つもの教室を覗いた実感としては、ゼミナール授業ですら、多くの学生は発言も発表もしたがらなかった。苦労して大学に入っても勿体ない話である。特にゼミナールが八単位にされた以降のそれは、学生の数も増え、ますます酷かった。予め発表を割り振っていても、発言二分、レジュメは手書きのB5一枚というありさまで、あの温厚な芥田先生ですら「何か問題提起して」と、呆れた物言いをされたほどである。恐らく多くの学生にとっては、討論や発表といった習慣が身についていなかったのだろう。
となると、マスプロ授業からの転換は、高校教育辺りから始めるべきで、いっそ週一回ぐらいゼミナール授業を作ってはどうだろうか。内容は英語でも数学でも体育でも何でもいい。受験校ならば皆で入試課題を解き合うというのでもいい。ともかく、年上の人間を少人数の生徒で囲むという経験が必要である。無論そもそもやる気の無い学生は如何ともし難いだろうが、発表時間が三分に増え、レジュメがA4一枚になるぐらいの効果はあるかもしれない。
 漸く数日ぶりに晴れた。午後出社。ボーリングの反省会をして帰る。家人は眩暈に加え歯痛を併発。重病人の様相。齢を取ると、一日の半分は健康問題に充てられている感じである。


4/22・火
 一日曇り勝ち。夕方から結局雨。穀雨らしい季節である。


4/21・月
 一日小雨。午後出社。授業料の引き落としプログラム変更の為、郵便局から係員が来る。退職間近の人のようだったが、流石にパソコンには詳しい。其の後、四時から九時までずっと立って授業。退社後は居酒屋バーIへ。いつも通り静かな店内だったが、帰りがけに若い男たちが殺到して来る。同窓生が何だか心配になったが、酔いが回って仕舞い、結局吾人の方が先に退出す。経営者は常識人だから大丈夫だろう。一時ごろ帰宅す。
 昨年度の貿易赤字13兆円余り。国富の流出という点では、円高より円安の方が怖ろしい。自動車の輸出は増えた増えたといっても、台数にすれば僅か1.5%だという。こうなったら、コメでもりんごでも漫画本でも古着でも、売れるものは何でも売りに行かなくてはならない。くれぐれも武器を除いてだが。


4/20・日
 一日曇り勝ち。一日無為。一日遅れの老家人の誕生日の御祝いをす。和菓子屋の赤飯、北海道の二等の牛肉、伊予の鯛刺しなどを食卓に並べたが、体調不良を理由に本人は頗る不機嫌である。いっそ耄碌してしまった方が、精神的には楽なのであろう。つくづく齢を取るのも難しい。
ところで最近一丁目の方に「サミッツ」というスーパーが開店した。此処はまだしも店内で肉や魚を切っているから有難い。というのも近所のスーパーは、生鮮品の大半がセントラル納品になって仕舞った。肉も刺身も川崎辺りで切られてから運ばれて来る。殊に丸越など、態態見えるように拵えていた鮮魚加工場を、実はもう何もしていないことがばれないよう、ベニヤ板で塞いで見えないようにしたくらいである。これでは大きなコンビニと変わらない。合理化も行き着く先は不合理で、買い物をしていても腹が立つことばかりで困る。


4/19・土
 ウクライナ東部で混乱続く。全てロシアの策謀かというとそうでもないらしい。結局クリミア半島の分離で勢いづいたロシアのナショナリズムが、勝手放題に沸騰している結果だという。権力者の思惑を乗り越えて燃え広がるから、ナショナリズムというものは恐ろしい。焼き討ち事件に発展しなければよいのだが。
 金曜会の企画でボーリング大会。総勢十一名で川崎のボーリング場に乗り込む。中華立ち飲みのネパール人店員バビさんの送別会でもある。二時過ぎから缶ビール片手に投げ始める。軽い球を糸を引くような低速で投げたところ、スペアを連発し、一回目が120、二回目は148で、なんと吾人が優勝す。球技で褒められたのは人生で初めてである。其の後、川崎の中華屋、立ち飲み屋Bの大井町店、地元の居酒屋Aと立て続けに訪問す。経費節約の為、一時間かけて歩いて帰宅。三週続いた金曜会企画もようやく終了す。
 ところで、川崎駅も警官だらけでやけに物物しかった。近近に米国大統領が来るとのこと。本来飛行場の立ち話で十分なものを、態態国賓に仕立て上げ、都心までご案内するから、先方も迷惑そうである。また手ぶらで返すわけにもいかないから、TPPではぎりぎりの交渉が続いているよう。滅茶苦茶な条件を受け入れることの無いようにして貰いたい。


4/18・金
 一日小雨が降ったりやんだり。気温は一気に下がった。午後千寿校に出校。前任者が担当していた高校英語も担当す。教え慣れない分、久久に頭も使った。千寿では退社後も一人切りである。駅前商店街の回転すしEに入る。きちんと職人が握っていて大半の皿が130円というのは安い。ほうぼうや目鯛などは旨かった。八皿ほど食べ、麦酒とお酒をつけて2500円。千寿校での給金がどういう経路で支払われるかは不明だが、安達区の御金を世田谷や目黒に運んで仕舞っては、社会的不公平を拡大するというものである。成るべく千寿で飲食しようと思う。
千代田線で帰った。久久の平日夜の都心越えである。流石に勤め人が多い。大手町や霞が関の人に見劣りしてはなるまいと、気負って乗車す。東海道新幹線の数分の一の緊張感といったところであろうか。しかし御茶ノ水辺りで乗ってきた勤め人は座るは否や、座席に涎を垂らしてへたり込む。きちんとした身なりをしていたが、金曜の夜は人をだらしなくするから嫌である。十時半には帰宅す。


4/17・木
 午後出社。退社後月波君来たる。最初から最後まで立ち飲みではあんまりなので、鶴木さんおすすめの居酒屋Aに行く。初めての店である。常連客がうるさかったが、いけすから取り出した鯵刺しと、五本五百円の焼き鳥は旨かった。今後行く回数が増えるかもしれない。 
「鳳生大学と戦後五〇年」を受け取る。芥田先生が編集した大著で、辞典ほどの分厚さがある。学生数に関しての統計が面白い。学生数は50年代後半から60年にかけてに急速に増加して以降、案外増えていない。第二次ベビーブーマーが受験で苦労したわけである。その学生急増時に建てられた55年館、58年館とも愈愈建て替え予定だという。鳳生大学もまた変わって仕舞うなと思った。
事故を起こした韓国船は元元は日本の船で、杜撰な改造と操船で沈没したらしい。乗員による避難誘導もなかったとのこと。グローバル競争では韓国に追い付かれたが、安全管理には我が日本に一日の長があるという、ナショナルチックな見方も出てくるだろう。しかしそれも三年前の三月十一日までの話しである。また九年前の四月二十五日を挙げても佳かろう。そのどちらも超がつくほどの一流企業であった。


4/16・水
 午後出社。二週遅れて1080円床屋に行く。予算強制削減のため退社後は中華立ち飲みのみ。韓国で海難事故。日本でも事故のたびに、橋だのトンネルなどを架けてきたが、流石に済州島までは無理だろう。


4/15・火
 先月の今頃のダイヤ改正ではとうとう寝台の「あけぼの」も無くなって仕舞った。長距離列車が続続無くなる一方、九州の超豪華列車は予約が殺到しているという。併しながら、どうも此の豪華列車というのは、物の道理をわきまえていない気がしてならない。
「ななつのほし」には周回コースしかない。無論、どんな列車にも往路と復路があるし、途中で彼岸にでも行かない限り、旅行にも行きと帰りがある=それに無言の帰宅というのもある。しかしそもそもが周回路しかないというのは列車としては異状である。端から回って還えるだけの列車など、遊園地の乗り物と同じで、無用の用の人しか乗ることができない。無用の人ばかりが乗っている列車など、贅沢の度が過ぎるというものである。
もちろん吾人も時折、無用の列車旅行をする。ただ旅行中はくれぐれも有用であるかのような難しい顔をしているし、そもそも無用の旅行が成り立つのは、有用の旅行者がいてこその話しである。其れに、此の列車の乗車券、寝台券ともみどりの窓口では売ってくれない。時刻表にも載っていないから、誌上で眺めて楽しむことすら出来ない。
其の昔、ブルートレインは走るホテルなどと言われたそうだが、超豪華列車というものは高級旅館に偶偶機関車と車輪が付いたようなもので、列を成してはいるものの、結局は列車とは似て非なるものである。だから吾人には何の興味も関心もない。吾人が唯一望むものは、有用の人が乗っても、ああ乗ってよかったと言えるような、車両と設備とサアビスである。
予定より早く新眼鏡が落成す。レンズだけで四万円もしただけに、流石に上等な付け心地。成るべく長持ちさせて償却期間を長くする以外に節約方法はなし。夜は三百円の生シラスを肴にした。


4/14・月
 午後本務校に出校。月曜は無責任社長が千寿に行くことになった。また本校勤務が週三日になったので、事務処理仕事が溜まり忙しい。退社後は元店長の店=居酒屋バーIに行く。暇そうなのでオムライスを注文す。同窓生と経営者が二人掛かりで料理教室のようになって完成さす。但し隠し味という蜂蜜が全面に出て少し甘すぎた。ところで予備眼鏡も四日目。ぐらぐら感は取れず。レンズの面積が大きい分、細部が歪んで仕舞う。早く新眼鏡が欲しい。
北の皇帝は例によって怒りまくっているそうだが、朝鮮半島もそろそろ農繁期である。軍人総出で田植えを手伝わねばならないというから、戦争ごっこも一時お休みであろう。


4/13・日
 一日安静にす。昼は立ち蕎麦の天麩羅蕎麦のみ。家人が数日来眩暈を多発す。表を歩く自信がないというので、手を引きながら近所のスーパーマーケーットに行く。
昨日は新宿の公園で桜を見る会があったそう。先週大暴れした雨雲も、呆れたようで何処かに行って仕舞った。つくづく残念である。あちこちで無理心中事件多し。四月は残酷な月でもある。


4/12・土
 用があっても乗りたくない田園都市線に二日連続で乗り、都心に向かう。というのは、柳さんの娘さんが結婚することになった。ところが二次会の参加者が足りなくなり、仲田大将や鶴木さんと急遽お呼ばれすることになったのである。浜松町から竹芝のレストランに向かう。実を言うと、柳さんの娘さんも大貧学院に通っていたし、吾人も少しだけ教えたこともある。だから、教え子の結婚式と言えなくもない。吾人ももうそういう年齢である。また何しろ急な話=連絡が来たのは昨夜=で、くれぐれも手ぶらでよいと言われたが、丸っきり只という訳にもいかず。金伍千円包む。
二次会には相手方の親族も来ている。思想も地域も違う。話を合わせるのが難しかった。こういう席で、旨く話をまとめるというのも、社会人としての基本的な素養の一つに数えられるだろう。吾人はまるで不適格者である。
其の後、人数を少なくして、浜松町の焼きとん屋に移動。更に品川方面に移動しながら二軒に寄った。結局最後に残ったのは矢張り大将である。ただ平素と違うことは、節子さんがいること。大将の大学の後輩で、今年一月にひっそりと入籍したのである。泥酔大将は節子さんが引き取り、二人は電車で帰宅。吾人は大量飲酒の異常心理でタクシイで帰宅。今月はもう使うお金が無くなった。


4/11・金
 早朝ついに眼鏡が破損す。レンズは二十年物、フレームは十年物の愛用の品だった。酔って転んだり、ふんづけたりしてもよく耐えてきたが、とうとうフレームが折れた。予備眼鏡もあるにはあるが、レンズが分厚く、粗雑な作り。眼鏡は顔の一部というが、此れでは異物である。掛け心地が余りに佳くないので、矢も楯もたまらず、近所の店に新しい眼鏡を作りに行く。レンズが特殊なので完成まで一週間も掛かるという。何とか早くして貰うように頼んだ。
 午後出社。とはいっても、四月から期間限定で千寿の塾に行くことになった。前述の知り合いの塾である。偶には他流試合をやってみようと思ったので、出校ならぬ出向依頼を受けた。都心を地下で潜り抜け一時間も掛けて行って見ると、大貧学院より更に小さな塾。塾には吾人の大嫌いなウォーターサーバーが置いてあり、生徒は紙コップ片手に水を飲みながら授業を受けている。気にかかったが、いきなり注意をする訳にもいかず。以後初日の授業は無難に終了す。
ところで千寿には大変な飲み屋街があり、吾人も佳く通ったものである。思わず十年ぶりに串揚げ屋に入る。此処は立って飲むという大阪スタイルの店である。串揚げを数本平らげた後、地下鉄で飯田橋に移動す。月波君と待ち合わせ。「みすず」のコピーを受け取る。読書アンケートのため原日記は二か月分欠載とのこと。矢張り他人の日記は気にかかる。軽く飲んで帰った。久久の都心回帰である。


4/10・木
 御昼出社。大貧学院のパソコンとコピー機を新型に切り替える。全て業者任せだが、あれやこれやと指示をしたりされたリす。序に机の配置も変えた。十二年物のパソコンと、十年物のコピー機は最新型になった。何処にそんなお金があるのか誠に不思議だが、リースの契約上、定期的に交換する決まりになっているのだという。経済の論理は複雑である。授業を始める頃にはすっかり草臥れる。元店長の店に寄り、同窓生の顔を見て機嫌よく帰る。但し夕方から冬型に代わり、大変な北風に煽られ帰り道は震えるほどであった。


4/9・水
 近所の本屋が三月末で閉店す。小さな店だが、大型の時刻表だけは此処で買っていた。創業六十余年、皆様にはお礼だけで失礼しますと、張り紙にあった。こういう挨拶文には中中佳いものもある。写真機で写して集めたら面白いだろうと思った。此れで地元にはチェーン本屋が一軒だけとなった。
何とか細胞の研究者の会見あり。堂堂としていたが中身はまるで無し。情に訴えるという非科学的内容で、もはや勤務先との泥仕合である。態態映すほどのこともなし。午後出社。


4/8・火
 近所の図書館が新装開店したので見に行く。折角なので、イオンモールに関しての雑誌記事を立って読んだ。別に真新しい内容は無かった。吾人は環状七号線より内側に住んでいるので、イオンともジャスコとも無縁で平穏な日日を過ごして来た。結構なことである。しかし最近は「マイバスケッツ」というコンビニともスーパーともつかない店舗が物凄い勢いで増殖している。品揃えは千店一律で、安いということ以外に腹が立つほど何の取り柄もない店である。おまけにサアビスも悪い。先日の花見の買い出しでは、リサイクルの規定があるとかで、段ボール一枚よこさなかった。流通業も大手企業への収斂が著しい。此れは買い物の全体主義化である。
本当に暖かい。火曜不出社。以後読書と日誌の整理。昼は蕎麦屋で盛りを食い、夜は行商人から鯵刺しを買う。電荷力なんぞ我にあらんや。


4/7・月
 今日から通常授業。但し初日から混乱す。無責任社長は知り合いの学習塾の応援に行き、又来る筈の新人講師も結局来なかった。よって一人で二つの授業を受け持つ。退社後は花見の反省会をして帰った。みんなの党の代表が辞任。八億円うんぬん以前の段階で、此の党は既に過去完了形であった。


4/6・日
 三陸鉄道が全面復旧す。再開を待ちわびたお客が全国から集まった。慶事には違いないが、地方鉄道も地方経済も、災害など起こらなくとも苦しい状態が続いている。増して三陸鉄道では駅周辺が何も無くなってしまったところも多い。どう贔屓目に見ても、今後の運営は苦しいだろう。三陸にも行きたいが、根元の新幹線が高いから、おいそれとは行けぬ。JRも鉄路の復旧をしないのなら、せめて割引切符を出して観光客を送り込むべきである。
 昨日に引き続き寒気が入り、昨日以上の雨が降った。今年の花見はつくづく天気に恵まれなかった。昼は豚骨醤油ラーメンを油少な目にして食べた。予想以上にあっさりして却ってこっちの方が旨い。夜は環七の魚屋のしめ鯖。


4/5・土
 金曜会の花見を開催することになり、朝から鍋釜薬缶にカセットコンロを持って出動す。九時多摩川台公園に到着す。場所取りをしてくれた崎河さんと交代し、大将、鶴木さんと買い出しに行く。色色と買い込み、先発組でいざ飲み始めようとしたところで、にわかに雨が降り出す。無情にも三十分以上も降り続け、万物はびしょ濡れとなる。漸く一時ごろには再開するも、準備と復旧作業で何だか草臥れた。其の上、花粉症と冷えで鼻水が止まらなくなる。調理担当としては不衛生なので、鼻炎薬を買いに行く。と言っても、多摩川という駅には何もないので、下丸子まで電車で往復した。
 少し落ち着いたので、公園を見渡す。思いの外、若い人が多い。学生サークルの新人勧誘の季節である。更に気づいた点は、泥酔者が少ないこと。隣の学生に聞いてみると、サークル活動にも禁酒令が浸透して来て、未成年者同席では学校の内外を問わず、全面禁酒されているのだという。学生がお酒を飲まないのだから、日本も随分変わってしまった。酒との付き合い方を知るというのも、学生生活の本分の一つである。此処は酒造会社も陳情活動をして、飲酒年齢も十八に引き下げるべきであろう。大体酒も飲まない内に、政治や憲法のことを分かったようになって貰っては困る。
また其れとは逆に、花見の習慣は浸透しているという。酒も飲まずに花見が成り立つとも思えないが、最近の流行歌には桜を唄ったものも多く、何でも国民の階層分化を、桜の花が辛うじて堰き止めているのだとする見解もある。吾人などは、桜の次は菊の花が持ち出されるのではないかと警戒する。今上天皇は大変な常識人で慎み深いお方だが、御本人の意向には関係なく利用したがっている連中は大勢いる。
 五時頃には撤収し、今度は目黒のカラオケ屋に移動す。結局更に大量飲酒す。夕方から現れた轍田さんに三次会=本人にとっては二次会=を強く誘われたが、疲労と困憊を理由に最終バスで逃げるように退出す。


4/4・金
 雨は漸く朝には止んだよう。バスと徒歩で出社。昼は中華食堂で680円の回鍋肉定食を搔き込む。其の後いつもの千円床屋に行こうとするも、1080円に値上がりの上、満員御礼で入れず。80円とは随分の値上げであると思った。
今までは需要が少ない分、消費者側が強すぎた。だから価格決定の重心が消費者から供給者側に移りつつあることは結構なことである。家計部門にはまだまだお金が眠っているし、この際少しは吐き出させることが必要であろう。但し、お金というのは無い所には本当に無い。消費税というのは、この点がどうにもならないから、つくづく不公平な税制である。其れに、無い所が増えて仕舞えば、無い袖はそもそもが振れないから、デフレーションに逆戻りである。
今日で講習も御仕舞。新学期の時間割を検討す。何軒か訪問し、花見の準備の為にいち早く帰宅す。


4/3・木
 朝から雨。御昼前自転車強行出社。退社後は月波君と晴雷亭に行く。帰り掛けに主人に呼び止められ、新作のつけ麺の味を見て欲しいと言われる。つけ麺とは麺も大事なのだが、つけ汁にはラーメンとは違う甘味と酸味が少し欲しい。甘味が足りないというと、主人は砂糖をどさどさと足し、酸味が足りないというと、酢がどぼどぼと注がれた。こういう場合、素直に市販のタレにしなさいとは言えないものである。すっかり味覚が混乱したので、立ち飲み屋Bに寄って、舌を洗い流すしか仕様がなかった。それにしても、つけ麺が流行して久しいが、愈愈晴雷亭にも及んだよう。ということは、そろそろ御仕舞である。自転車復路運休。雨天を理由に早目のお開きとし最終バスで帰った。バス運賃は216円に上昇す。


4/2・水
 御昼出社。退社後は中華立ち飲みに。此処は食べ物が全てプラス三十円に。増税分を越えているかもしれないが、此の店はそもそもが安すぎた。余りに儲からなくて店が無くなって仕舞っても困る。鶴木さんらと花見の打ち合わせをして帰る。
此のところ捕鯨は世界中から非難されている。其の上とうとう国際裁判所からも怒られた。鯨食は日本文化の一部だという向きもあるが、戦後の食糧難の時代を除けば、鯨に親しんだ地域は多くない。遠くの海まで捕まえに行くのは、そろそろ止めにした方が佳い。


4/1・火
買い溜めも終わり、世の中漸く落ち着いた感じ。御昼前出社。色色と見て回る。立ち飲み屋Bは飲み物全般二十円の上昇。麦酒が410円に。価格転嫁するように当局から相当な指導があったと張り紙に書いてあった。あながち出任せではないようである。富士蕎麦も全品二十円の値上げ。晴雷亭は値段据え置き。退社後に赴いた元店長の店は急に外税になっていたが、元の価格はもうすっかり忘れた。飲み屋などは付加価値の多い業態だから、価格設定というのも難しい。