2014年5月

5/31・土
 先月の消費者物価は、増税分とほぼ同じ3%の上昇。また家計の支出額は前年同月比4%の減少というから、一般家庭の購買力は7%も下がったことになる。駆け込みの需要の反動が終わった頃に、どういう数字が出てくるか、大変気になる所である。
 夕方、月波君、坪上君、鷺乃間君が来て、地元世田谷のお好み焼き屋に。毎度毎度飲んでばかりでは駄目なので、今回は冒頭一瞬だけ読書会を行う。吾人が鳳生大学の戦後七十年という題で発表を行った。其の後、隣の駒沢で独逸麦酒祭りをやっているというのでバスで移動。会場に缶ビールを持ち込んで好き勝手に飲んでいると、麦酒祭りでそれをやってはいけませんと係員にぶりぶり怒られる。仕方なく一杯だけ注文す。麦酒ジョッキの預り金1000円を入れると一杯2400円もす。幾ら独逸から態態運んできたとはいえ、法外な値段であると思った。やむを得ずそのジョッキに缶麦酒を継ぎ足し継ぎ足し飲み続ける。流石に値段が高いだけあって、中身が減らない不思議なジョッキであると思った。会場では東北のお酒も売っていたので、麦酒の次は日本酒を飲む。再びバスで地元に戻り、何時もの中華屋で締めて帰った。十時半帰宅。もうふらふらである。


5/30・金
 貧乏に音を上げたの北の皇帝は日朝交渉を再開するという。拉致問題も再調査するというが、死んだ人が生き返る訳でも無し。新たな拉致被害者が沢山見つかるとも思えず。経済制裁を解除させるには、それ相当な隠し玉でもあるのだろうか。
 午後千寿に出校。定期テストが近いらしく、此処の経営者は普段以上に、熱心に指導している。吾人も早目に退散するわけにも往かないから、結局お付き合いす。
少し唐突だが、吾人が尊敬するのは、「自分のやっていることがほとんど無意味であるか、あるいはまったく意味をもっていないことをちゃんと知っていて、それでいてその仕事をちゃんとやってのけるような」(石原吉郎)人である。しかし此処の経営者は、「自分のやっている仕事が結局何にもならないことを知らずに、結構せいを出している」感じだから、正直な話し、敵わないと思った。本当に苦手なタイプである。
其の後、品川に回航す。綾子さんが別の店に出勤するというので行って見た。所謂カラオケスナックの類で、少し飲んで伍千円。そもそもスナックというものは、吾人の飲酒生活と全く縁のない店である。物を知らない吾人は連れて来られた猫のように緊張す。
それにしても、飲み屋街の奥の院のスナック街は、どの店も行き場のない中高年で一杯である。又全国チェーンのスナックというものは無いから、吾人が落としたお金は、都心の経営者や株主に吸い上げられることもなく、直ぐに地域に広がるであろう。これも一種の社会貢献である。とはいうものの此処は早めに切り上げ、何時もの居酒屋バーIに戻って、もう伍千円。今週は大幅な予算超過である。三時半帰宅。


5/29・木
 家人の歯痛は何とか快方に向かう。ということで矢張り、国立大病院の見立ては正しかったということになる。大病院は検査器具も多いし、何せ臨床例が多いから診断も的確なのだろう。早く吾人も名講師の称号を頂き、あなたの頭は手遅れ、こっちのお子さんは塾に通えば人並み程度にはなりますなどと診察したいものである。そうなれば第一、教えなくて済むから楽でいい。
 午後出社。散髪す。暑いせいか中学生は益益集中力がない。退社後月波君来たる。佐渡屋に行って中量飲酒。


5/28・水
 午前中は悉く草刈り。午後出社。中華立ち飲みに行ったところ、過日の年寄りは、酔って暴れてひっくり返って、救急車に110番の散散だったと伝えられる。何れも吾人の退出後の話しである。撤退策は大正解だったが、その分、他のお客や行政機関の負担を増したことになる。つくづく迷惑なお客である。其の後居酒屋バーIへ。久久の大量飲酒で一時半頃帰宅す。


5/27・火
 未明まで大雨。朝には上がる。家人の歯痛と頭痛が何時まで経っても治らない。このたび紹介状を貰って大病院に参ることになった。吾人と二人、早朝からタクシーを仕立て、駒沢公園の隣の国立特大病院の口腔外科に向かう。家人は顔面神経痛の類を疑っていたらしいが、精密なレントゲン撮影をしたところ、矢張り歯が悪いという。奥歯の奥歯がやられている。しかし当の大病院では歯の具体的な治療はしないので、今度は逆紹介状を頂いて、近所の歯科医院に舞い戻る。御昼頃バスで帰宅。
毎度毎度思うことだが、何処の大病院も病人大行列の大繁盛である。酒場や商店街では見られない、本当に具合の悪い人が右往左往している。そんな構内を行ったり来たりするだけで付き添いの吾人も疲労困憊す。午後は昏昏と午睡す。


5/26・月
 曇り勝ちで夕方以降雨。午後出社。四時から九時過ぎまでずっと授業。数日ぶりにまともな大人と会話したくて、立ち飲み屋Bと中華立ち飲みで話し相手を探す。併し後者には泥酔した年寄りが居て、くどくどと絡まれ酒となる。腹を立てて傷害事件に至っては困るので、バスに乗って早目に退散す。三十六計逃げるに如かず。酒場も撤退が重要である。


5/25・日
 一日晴れ。異様に暑い。夕方近所で何らかのトラブルあり。私服も含め警察官多数来たる。一時間後に何事もなく立ち去った。結局詳細は不明。
集団的自衛権を行使すると、あっという間に先の大戦に見られるような、大決戦に大海戦、御仕舞には大空襲の、国家総力戦のような事態に陥ると心配する向きもあるようだが、幾らなんでもそういうことにはならないだろう。むしろ危機は静かに進行する。
幾ら気を付けても、行き先は戦場なのだから、結局何時の日か「戦死者」が出るだろう。撤退の好機だろうが、すると直ぐに○○君の死を無駄にするなという式の論法が蔓延する。撤退はできなくなる。そうしている内に戦死者は、数十という単位で増加するかもしれない。またそれは同時に、その数倍の「敵」を殺したり、死なせたりすることの裏返しである。当然、それぞれの背後には数倍から数十倍の遺族と家族がいる。「敵」の報復攻撃は苛烈になる。「味方」の増援も増える。戦火は拡大す。
それでも年間の交通事故死者数や、孤立死する高齢者や、通り魔事件の被害者や労働災害死に比べたら、微微たるものだというような無責任な比較衡量もされるかもしれない。異常事態もいつしか日常化する。こうして私たちは、数十、数百という死を、丸で日日の雑事のように受容する国に住むこととなる。
戦争とは最初が肝心である。一旦起きたら止めようがない。一死が万死を呼ぶ。兎に角、最初の戦死者を出さないこと。そしてそれ以上に、日本という国の名において、もう誰一人殺さないこと。それは戦後日本の殆ど唯一の国是であった筈である。


5/24・土
 一日予定無し。ところで、一見穏やかそうに見えるタイという国も、国民が二派に分かれ、戦い合うような対立にみたび陥っている。議会も停止し、政治が完全な機能不全に陥ると、結局今度も軍靴が出て来て収拾を図ろうとする。毎度毎度不思議な政治文化である。
思えば、日本という国も不思議である。憲法であるとか、歴史に対する認識も、全く異なる二つの立場が混在している。中でも、憲法は国の根幹である。其の憲法を巡って対立するのだから、対立は想像以上に根深い。
アメリカという国には色色と支持出来ないところも多いが、大統領の就任式で、大統領が右手を挙げて、合衆国憲法を全力で守護しますと宣誓しているのを見ると、正直吾人は羨ましくて仕方がない。日本では憲法に対してのこういう敬意そのものが不成立なのである。だから憲法をめぐる議論も悉く不毛である。改憲派は旧憲法が良いと言い、護憲派は現憲法を溺愛す。共通の了解事項が何一つないから、護憲派改憲派では、相手を罵り合うばかりで、まともな議論は成立しない。
戦後政治は、何とかそういう対立が先鋭化しないよう、経済成長重視でやって来た。ところが此処二十年で経済が急停止したものだから、元来の対立が再び鎌首を擡げて来たといったところだろうか。丁度五十四年前のように。増して当の首相が、祖先と同じように率先して憲法をないがしろにしているのだから、忙しないこと此の上ないし、国民の方も何となく不安なものだから、改憲のハードルは小さくなるばかりである。
では、そもそもどうしてこんなに対立するのかというと、国の拵え方が、そもそも不自然なのである。何処が不自然なのかと言われれば、明治維新もそうだったし、戦後の改革もそうだった。此の国には、国民がこぞって何かを作り上げたという経験が丸で無い。政府にしろ、憲法にしろ。そんな中でも、戦後唯一共有して来た感覚は、戦争は嫌だという感覚だろうが、それも時間の経過とともに忘れ去られようとしている。こうして国民の間で共有できるものは、滔滔何も無くなって仕舞った。こうなると、国民同士でつかみ合いの大喧嘩が始まっても可笑しくはない。バンコク宜しく、街中での殴り合いに、石のぶつけ合いである。既に大久保辺りではそうなっている。


5/23・金
 午後千寿校に出社。五時から十時までずっと授業。此の学習塾は、時間割と時間割が重なりあっているので、休憩も取れず。ところで前任者は一応無事で、復職の意向を示して来たそうだが、怒った経営者は其のまま退職させるとのこと。どちらにしても迷惑な話しである。
退社後も、飲みに行くところも、飲みに行く人もいない。東口まで歩いて回り、麦酒を一本だけ飲んで帰る。二週続けて大幅な予算超過は無し。其れも何だか寂しい話しである。


5/22・木
 暖気と寒気がぶつかり合い、午前中から大変な雷雨。午後出社。御天気が大丈夫そうなので、早速昨日拵えたチラシを配りに回る。趣旨を鑑み、なるべく子どもが居そうで、尚且つ貧相な家のポストに投函しようと思った。併し幾ら格差が拡大したとはいえ、日本社会は階級社会に逆戻りという程ではない。家屋の外見だけで其の内実まで見通せる者がいたとしたら、一種の超能力者に分類されるであろう。結局何時もの通りの出鱈目散布となった。
退社後は元店長の新店=佐渡屋へ。其の後居酒屋バーIへ。色色と訪問しなければならない店が増えた。財布も肝臓も一つしかないから困る。


5/21・水
 件のパソコン遠隔操作事件解決す。今回の事件の教訓は、矢張り、何にもまして恐ろしいのは警察の取り調べであるということである。脅迫メールの発信者として誤認逮捕された四人のうち二人は、ありもしない罪の自白に追い込まれた。返す返すも恐ろしい。
自転車に乗っているだけで、年がら年中、警察官に追い掛けられる吾人の経験上も、そもそも一般市民が警察に抵抗することなど出来そうにない。吾人など、幾らいやだからいやだと言っても、結局毎回ポケットや財布の中まで見られてしまう。街場の地域課員ですらそうなのだから、此れが公安警察の取り調べ室ならもっともっと恐ろしいだろう。つくづく警察などない国に引っ越したいものである。
未明から大雨。午後まで霧雨が残った。自転車出社。無責任社長が、低学力、低意欲、低所得者向けの、低料金クラスを作りたいという。概ね千寿校の教育方針に感化されたのであろう。実を言うと、こういうアイデアは吾人にもあった。労使の意見も一致したので、早速広告チラシを作成す。いよいよこれで、大貧学院と吾人序に無責任社長も、社会的企業及び社会的企業家になれると思った。だが、此の「社会的企業」という言葉も、「社会人」同様、可笑しな用語であると思った。それだけ世の中には「反社会的な」企業が溢れているということなのだろう。
退社後は何時もの巡回コース。泥酔した立ち飲み屋の従業員に、「最近お越しにならない」と散散噛みつかれた。而も比喩表現ではなく、文字通り本当に肩甲骨のところを二度も噛まれた。下手な注射よりよっぽど痛い。此れも常連客への愛情表現の一つなのだろうが、男に噛まれても面白いことは何もない。慌てて中華立ち飲みに避難す。


5/20・火
 草が激しく育つので、草が生えないシートいうものを取り寄せた。家作の前庭に全長十五メートルに渡って敷き詰める。其のままだと風で飛ばされて仕舞うので、石や木片や使わない植木鉢などを載せて行く。すると雑多な物の品評会のようになって何だか可笑しかった。重労働の後は、四丁目の肉屋の重チキンカツ弁当。670円。午睡の後も方方の草取り。
 それにしても首相は何が何でもスコップを小銃に換えたいらしい。こういう動きに対抗するにはどうすべきか暫し黙考す。そこで歴史に残るような佳い標語が欲しいと思った。「デートも出来ない警職法」や「駄目なものはダメ」を凌駕するような、旨い標語を思案するも、前作を乗り越えるような物には思い至らず。


5/19・月
 午後出社。辛い授業の後は二週間ぶりに居酒屋バーIへ。久久に綾子さんの顔を見る。二時間半で五千円も消尽す。


5/18・日
 午前中から家人とともに老人福祉施設。久久に万代伯母の顔を見に行く。施設に入って丸四年。介護職員も入居者も悉く代わった。今では古株、昔なら牢名主といったところであろうか。其の後、小田急線高架下のチェーン寿司店で昼食。シャリも小さく上品に握ってあるが、ネタに鮮度が感じられず。千寿の回転寿司の方がよっぽど旨いと思った。何はともかく天気がとても良い。みな外出したいらしく、帰りのバスは大変な混雑であった。午後は草取り。
 今度は南シナ海の領有を巡って中越が衝突す。海の名前が如実に示す通り、今も昔もどの周辺国も、此の超大国と付き合うのは大変である。対中外交という点では、近代よりも、宋、元、明の頃、つまり中世の経験が役に立つかもしれない。くれぐれも時宗の様な強硬策をとって、大艦隊を招き入れることの無いようにして貰いたい。


5/17・土
 昨夜は二時に就寝した。ほぼ直通睡眠で起床が十時半だから、数学の破壊力は誠に凄まじい。日中は草取りと、天屋薬局に家人の眩暈対策の漢方薬を取りに行くのみ。
先日首相の私的諮問機関が、首相にとって実に都合のよい答申を行ったそう。内容については愚にも付かないが、ところで此の機関には名古屋の鉄道会社の会長も名を連ねている。会長個人に限らず、名古屋の会社は自民党の中でも最も宜しくない部分と結びつきが強い。リニヤを国費でやって貰いたいのか。それとも英語名のセントラルにふさわしく、お召列車でも担当したいのか。何を意図しているのか分からないが、新宿の会社には見られない傾向である。


5/16・金
 午後千寿校に出校。前任者が担当していた授業が、ひと月遅れで本格的に再開す。中学理科に、数Ⅰ、数A、数Ⅱ、仮定法などの授業が一気に押し寄せる。本務校では、それぞれの専門家に丸投げして仕舞う授業も、こちらでは吾人が質問の矢面に立たねばならぬ。よく政治家が使う一兵卒の心境である。ここ数日、四十の手習いをしてきたが、なかなか旨く教えられず。十時まで授業す。
十時半に飯田橋に回航し、月波君と伊那の反省会。こちらも通常の反省の域を越え、悔恨会に近いから、飲んでいても何だか疲れがぶり返す。都心のチェーン酒場はどこも十一時半で閉店。過日のラーメン屋台で飲み直したが、酔うというには時間が足らなかった。超満員の田園都市線で帰宅。今週の飲食費は珍しく予算内に収まった。


5/15・木
 午前中は理科の予習。御昼に不動産屋が来て滞納者の協議。午後出社。イオンが分からない。特に電気分解と電池の時の電子の向きが分からない。退社後は、酩酊中の一級技能士の鶴木さんを呼び出し、教えを乞うたが、今一つ要領を得ず。教材が悪いのか、吾人の頭が悪いのか、鶴木さんの教え方が悪いのか、恐らくそれら全てであろう。


5/14・水
 日中概ね晴れ。蒸し暑い。自転車受け取る。後輪の他、色色直して三千五百円。確かに節節の動きが良くなった。午後出社。残りの給金受け取る。此れで珍しく二か月まともに支払われた。大方千寿校からの送金なのだろう。退社後立ち飲み屋Bでぼんやり飲んでいると、さっきまで教えていた中三の生徒二人に見付けられる。「子どものうちにこういう悪所に来てはいけないよ」と、鮪の刺身を一切れずつ口に押し込んで返させた。


5/13・火
 火曜不出社。午前中は霧雨が残る。午後は晴れて暑くなる。予備車に乗り、故障した本務機を右手で引いて何時もの整備工場に入れる。夜は行商人から平目刺し。


5/12・月
 午後出社。中華立ち飲みで三浦の反省会。予想より早く雨が降り出したので早めに帰る。而し復路自転車急行故障す。四分一ほど乗ったところで、後輪から空気が一気に噴出した。見るとタイヤ表面が相当摩耗している。何かのきっかけで裂けて仕舞ったのであろう。重大な整備不良であると思った。飛行機なら墜落、船なら沈没、列車なら転覆、バスなら炎上、料理屋なら食中毒、出版社なら回収絶版、先生なら生徒が自殺するような大事であった。吾人も他社の仕事をあれこれ批判出来ないと思った。とはいうものの幸いにして被害者は吾人一人である。救援車が来る訳でもなく、また戻る訳にも、車両を放置する訳にも往かず。自転車を乗せられるタクシーというのもありそうでないから、雨中一時間掛けて引いて帰った。


5/11・日
 本当に久久の何も予定がない日。草木を刈りつつ、溜まった日誌の整理。反省事項ばかりだから、キーボードも打ち進まず。尚、携帯電話は何とはなしに直って来た。何とかフォンへの変更は延期とす。歯痛と頭痛と眩暈で家人が余りに不機嫌なので、柳さんの店に花を買いに行く。大幅に負けてくれたから、何だかこちらが恐縮す。


5/10・土
 中華立ち飲みのバビさんが愈愈本国に帰るというので、お別れの遠足会を行う。店の女主人や料理人の楊夫人も同行し、常連客と総勢八名で三浦を目指す。九時に品川に集合し、京浜急行線に乗り込んだ。早速缶麦酒を開けて大声で話したから、相当顰蹙を買ったかもしれない。これも日中・日ネの民間親善外交だから許して頂きたいと思う。
 三浦海岸駅で下車。風光明媚な海沿いの道をバス移動す。市場を見学し城ケ島に向かう。暫し磯に親しむ。内陸出身の御三方は、貝や舟虫を見て、子どもの様な燥ぎようだったから、相当物珍しいのだろう。其の後、「みさきのまぐろのきっぷ」が使える食堂で食事休憩。ところでバビさんの帰国先はネパールではなく英国だという。中華屋の店員がネパール人で、出身が英国なのだから、グローバル化は複雑である。又観光船が満員というので、バスでマリンパークへ。此処など小学校の移動教室で来て以来、云十年ぶりである。センチメンタルな気分に浸りたいところだったが、酔いが回って暫し就寝す。
年中無休の中華立ち飲み屋を手伝わねばならないので早目の帰宅。六時過ぎには何時もの店に戻る。店の二階を貸し切り、遠足欠席組を加えて更に飲んだ。朝から十二時間飲酒でふらふらす。鶴木さんと大将とで電車で帰った。目黒でバスに乗り換え。帰宅は十時半。


5/9・金
 日中まで朦朧とす。午後千寿に出校。退社後は餃子に麦酒に留めて直ぐに帰った。


5/8・木
 午後出社。携帯電話の店を視察す。店員によると、今の電話機は古い上に特殊で、電話帳を移せない恐れがあるという。大慌てで職場に戻り、数十件の電話番号を紙に書き写した。なお、新機種を何とかフォンにするかの決断は付かず。第一、定額の通信料が数千円もする。馬鹿みたいに高い。馬鹿みたいに高いから、せめて元を取ろうとみな、馬鹿みたいに使っているのであろう。それでみなの頭が本当の馬鹿になって仕舞うのだと思った。
 二月末で居酒屋バーIを辞めた元店長が、愈愈自分の店を開いたというので行って見た。近所の居ぬきの物件である。元店長は本物の料理人なので、魚の目利きも確かである。金目鯛の刺身が旨い。伊豆の高級旅館の味であると褒めておいた。こうなるとお酒が進む。元店長の地元の御酒「北雪」の大量飲酒で、帰宅は一時を回った。


5/7・水
 絶望的な日常に復帰す。午前中は溜まった草取り。午後出社。伊那と勝沼でお札が大量遭難したので当分緊縮財政である。退社後も中華立ち飲みのみ。序でに言うと、七年使った携帯電話も調子が悪い。時折画面が点かなくなる。弱り目に祟り目である。愈愈病院や火葬場の次に行きたくない場所=携帯電話の店に行かねばならぬ。


5/6・火
 漸く朝の五時から本題に取り掛かる。つまり薪の大量移動作業である。薪小屋から山荘本屋脇に薪を積みなおす。月波君と二人掛かりで二時間半で終了す。朝食と入浴後、伊那市駅に移動。長期滞在の伯母とは駅で別れる。鷺乃間君と勝沼で待ち合わせをしているので、復路は普通列車での移動である。
地方線区の売り上げに貢献しようと、伊那市から高尾までの正規乗車券を購入す。3350円。十時前の岡谷方面の列車に乗り込むも、途中の伊那松島で強制降車させられる。乗客数十人がローカル線のホームに追い出される。どうもワンマン対応の車両に交換されるよう。今まで乗っていた車両を車庫に入れ、別の新型車両がのろのろと出庫す。この間十五分。大掛かりに車両を交換したが、しかしそれでも結局車掌は乗っている。連休最終日の復路にて、大荷物のお客も多いのに、迷惑にも程があると思った。名古屋の会社のやっていることは、リニヤ新新幹線同様、誠に無茶苦茶である。
岡谷で新宿の会社の高尾行に乗り換え。因みにこちらの車両は引退寸前の旧国鉄車であった。甲府辺りで満席となりながら、二時間弱で勝沼に着く。鷺乃間君を加え三人で「ふどうケ丘」で、結局の大量飲酒。ワインを五本を空けたのち、這う這うの体で新宿行きの列車に乗り込む。二階建て十両編成の臨時快速も流石に避難列車のように混んでいる。何とか空席を見つけ一時間ほど就寝す。高尾で下車。「玉の里」という店に行き、麦酒と盛り蕎麦で締めて京王電車で帰った。


5/5・月
 結局伯母を除くほぼ全員が宿酔となる。酔い覚ましにと、午前中に近所の日帰り温泉に出掛けた。而し折角大きな風呂に入っても、吾人の回復はとりわけ遅く午後になる。誠に情けない限りである。
今日の伊那は一日雨模様。夕刻、妙齢女性二人組を伊那北駅へ送り届け、山荘に戻る。漸く肩の荷が下りた感じだが、胃腸の回復は今二つ。「花紋屋」の二枚重ねのソースかつ丼は、あっさりしていても一枚しか喉を通らず。


5/4・日
 午前中は全員で里山散策す。其の後、月波君の運転で木曽方面に出る。折角だから遠出して野麦峠を見ようと思った。というのもこのたび、群馬の工場は世界遺産に推薦されたそうで、観光客が押し寄せている。一方、同じ紡績業で有名な筈のこっちの峠に耳目が集まることは稀である。それでは谷底に落ちて死んだ女工さんたちが余りに可哀想だから、今回は義憤を感じて行くことにしたのである。趣旨に賛同したかまではわからないが、妙齢女性二人組も帯同す。
とはいうものの、松本側の道路は雪崩の恐れがあるというので通行止め。岐阜側から入り、岐阜側から出るというルートしかなく、峠の態をなしていない。途中開田高原蕎麦屋で昼食。併しどの店も大変な人の出で、蕎麦が足りないらしい。吾人も厨房で蕎麦を打ちたくなるほどの混雑であった。都心の富士蕎麦なら10分で済むことが、結局一時間半も掛かったから、大型連休というものは悉く恐ろしい。結局峠に着いたのは四時過ぎになって仕舞った。
大急ぎで日本で唯一という「峠の資料館」を巡り、館長の説明を聞き、峠を見、政井みねの何だかちゃちな白い像を見、暗くならないうちに帰途に就く。走って来たくねくね道を戻ること、たっぷり二時間。伊那に着いたら七時になっていた。夜の御つまみを補充しようと立ち寄った道の駅も悉く閉まって仕舞い、観光案内失敗である。
以後伯母を交え、午前中に採った野草を天麩羅にしながら、麦酒数リットル、ワイン二本、日本酒四合瓶三本、更にブランディまで飲み尽くす。結局吾人が最初に脱落す。職業人として敗れ、伊那の案内人として失敗し、得意のアルコールでも敗れた。三連敗である。


5/3・土
 今日から伊那に行くことになっている。今回の旅行は、須見伯母に暖房用の薪の移動を頼まれたからであって、れっきとした有用の旅行である。尚大型連休中は「あずさ回数券」が使えないので、高速バスを利用す。三千五百円。バスというものは驚くほど安い。
二日酔いと渋滞対策のため、新宿を午後四時半発の便にした。相変わらずの同行者は、詰まらない月波君である。駒ケ根行の山梨交通バスは満席。途中上野原あたりで道路が混んでハラハラしたが、結局ダイヤ通りに伊那市に到着す。普段通り、ローメンの「うしお」で御酒を煽り、今回は贅沢してタクシーで移動す。二千五百円。しかしそこからが何時もの通りではなかった。 
ところで須見伯母は、趣味で日本舞踊の会に属している。大型連休中は、会で知り合ったお方と、既に山荘に滞在しているということであった。日本舞踊の会ということならば、お年寄りというのが相場で、吾人も其の積りでいたが、そこには妙齢の女性二人組がいらっしゃったのである。正に、寝耳に水の、開いた口が塞がらない、我が目を疑う事態である。
但し妙齢というのも色色とある。年齢が十も下なら、社会人としての先輩づらが出来る。十五も下なら教師づらが出来る。併し今回はわずか五歳である。而も趣味で日本舞踊を習うということは、それなりのお方である。職場近くの気安く飲むような所にいる普通女性とは相当違う。快速か準急か、否もっと上の急行、更に上だ、謂わば特別急行の一流OLである。悉く庶民文化に親しんだ吾人は、借りて来た猫のように全く緊張す。


5/2・金
 此の処、飲食やサービス業を中心に人手不足が広がり、パート勤務者の時給は上昇傾向だという。結構な事には違いないが、元元コンビニも居酒屋も牛丼屋もスーパーもドラッグストアーもクリーニング店も学習塾も、どう考えても過剰出店の過当競争である。
御客もいないのに、どうしてこんなに店ばかりが増えたのか。それは個個の売り上げの減少を、出店規模の拡大で補うという頭の可笑しい経営戦略の御蔭である。規模の拡大は、従業員を安く使い捨てることの裏表だから、いずれ従業員が集まらなくなるのも時間の問題であった。この際半分くらいは閉店して貰うべきであろう。
 午後千寿校に出社。退社後はメトロを乗り継ぎ、職場近くの居酒屋バーIに戻る。綾子さんや大将らを交えての連休前の大量飲酒で、帰宅は朝四時となる。また此の一両日、拙宅前の側溝工事。施主は区長殿なのでお茶出しの必要はなし。万事気が楽だったが、排水を良くする工事だというが、そもそも今まで滞ったことも無し。何をどう工事したのか結局分からず仕舞いだから、公共工事というものはいい加減である。


5/1・木
 大型連休であるが、今年は連休の谷間が三日もある。三日もあると、谷というより地溝帯である。矢張りメーデーも休みにすべきであろう。其の上で、休日と休日に挟まれた平日は問答無用で休日になって仕舞うという、飛び石連休防止法、別名オセロ休日法を作れば今週は全て休みになる。内需は大きく躍進するであろう。
 午後予備車で出社。給料の一部として金七万円受け取る。授業中煩い中学生を怒鳴りつけたら、今度はふて腐れて何もしなくなる。腹の虫がおさまらないから、結局の大量飲酒である。