2023-4

4/30・日

 未明から断続的に雨。ゴミ拾いは二周。昼前にマルダイ棒ラーメン。午後に入る頃には止んだ。時時桃の剪定。都庁氏、ではなく徒長枝を中心に切るところは切った。晩は買い置き食品にパスタを茹でた。本日の支出は八百屋でピーマン等のみ。320円。こうして漫然とした四月が終わった。

 

今月の備忘録

一、都市部の埋め立て等に巨大な揚水発電ビルを建ててはどうかと思った。余った電気で地下タンクから汲み上げ、足りない時に上から下に流す。誰か提案して。二、広島県平和教材から「はだしのゲン」が消えて仕舞ったそう。鯉を盗むシーンが時代にそぐわないというのが理由らしいが、本音は戦争を知らせたくないのだろう。幼少の頃、アニメ版の映画を地上波(といってもテレビはそれしかなかったが)で見た記憶がある。流石に其の後の昼飯(冷やし中華)は旨くなかった。図書館で盗み見た東京大空襲の写真集でも同様の体験を得た。戦争とは、先ず怖いもの。人人から恐怖心と言うものを奪ってはいけない。三、それにしても、「深夜便」で尾崎豊は早すぎると思った(今月末も特集をやっていた)。親世代が聴いていて、漸く当時の息子や娘の気持ちが分かった・・・、なんていう結果をもたらすかもしれない。なお子ども世代はもう五十歳くらいです。四、チャット何とかを巡る論議、こういうものは定期的に出て来るな。詰まり、人間よりコンピューターにやらせた方がいいという考え。そして人間のやる仕事がなくなるという心配。こういう考えは、政治と行政を混同しているように思える。「あらゆる「決断」をいっさいゆだねられるようなコンピューターが出現したら、どんなに楽だろう・・・と首相は思うことがあった」「人間が機械のおかげで筋肉によってやる「重苦患労働」から解放されたように、「政治的責任」の、苦しい精神的負担からも、完全に解放されるような日が、本当にいつかは来るのだろうか?」「おそらくそんな時代は来るまい・・・と首相は思った」「たとえ、すべてのデータがいれられても、未来には「ラプラスの魔」がしめすように、必ず「予見不能」の暗黒の部分が残る・・・」(『日本沈没』より)。個人の人生だって、企業の運営だって、行政的な部分と政治的な部分で出来ていますから。

 

 

4/29・土

 断眠多数だが九時まで寝て過ごす。全体としては良く寝られた。さてさて今日から大型連休。吾人は実に十連休かな。朝は蕎麦を茹でた。最近は山形の「小沢部そば」を購入した。一束330円。140円の冷凍のかき揚げを付けたから、実は富士そばの方が安い。家人には100円分の蕎麦を残した。

 午後外出。鷺の間君に呼ばれたので日吉郊外へ。碑文谷まで徒歩連絡。東横線で230円進み、また歩いた。それにしても日吉駅を出ると、直ぐに崖。階段で降りた。此の辺の地形も激しいね。さてさて目的地は高田。月波君も同席。まず焼き鳥屋へ。たっぷり食べた。今度は魚を食べたい。以前も入った鯛めし屋へ。二軒飲んでもまだ九時。鷺の間君とは別れ、地下鉄で日吉へ。目黒線でバーIへ向かう。店内盛況。一時間半ほど飲んだところで吾人は限界点へ。タクシーで帰宅。十一時過ぎ。休憩の後、シャワー入浴。1.8万円。1.2万歩。

注・・先月から東急と相鉄が繋がったが、あんまり乗っていなかった。それに直通列車の運転間隔がいびつだった。新横浜で乗り換える必要があるらしい。

注・・昨秋の値上げ以来、初めてのタクシー利用だった。1780円が2100円になった。

 

 

4/28・金

 連休明けの五類引き下げを受け、アクリル板等の撤去が進む。此の板囲いなど意味があったのだろうか。きちんと検証して欲しい。今更なかったとは言えないから、検証はしませんと言いたいだろうが。今朝の新聞には神宮外苑の再開発では木の本数は却って増えますと全面広告。そんな馬鹿な。大木と低木どっちが貴重なのでしょうか。それにしても、此の再開発にも緩和マネーが流れ込んでいるのだろう。金利を上げたら多分採算割れ。新しい日銀総裁に頼んでみたらどうだろうか。もう一枚広告があった。とある教育文化財団が奨学生を募集していますと言うもの。此処の母体は、某個別指導塾。吾人もアルバイトしたことがあるが、本当に悪辣な所であった。資本主義も末期症状だね。

昨夜は昼寝と飲酒後のうたた寝で四時まで寝られず。シロが二回入って来たことも良くなかった。よって、朝からぼんやりす。昨日以上の晴れとなる。草取りは十五分で終了。気を取り直して木瓜と椿の剪定。木瓜という割には棘があるから注意が必要。バラ科だそうです。以上一時間。午後出社。九時退社。今後暫く出社の予定なし。無社長の顔を見ずに済むと思えば清清するね。早速Bへ。静岡出身という妙齢女性と知り合う。君の名を教えて。2500円くらい。帰宅は十一時半。すると吾人の目の前をシロが横切って行った。あんた、何処へ行くの。以後シャワー入浴と納豆と汁かけ御飯。一時間ほど経って、シロが来る。あんた、何処へ行っていたの。外猫は良く動いていると思った。

 

 

4/27・木

 コロナ中の特別融資が終わったからかしら、割と大きな企業倒産が相次ぐ。コロナ明け不況到来か。新函館市長は、北海道新幹線スイッチバックさせて函館駅に呼び込みたいみたい。札幌まで伸びて一時間に二本くらい走れば、半分は函館止まりになるのだろうが、うーん、ちょっと無理かなあ。そもそもあの新幹線は、(以下自主規制)。五十年後の人口は8700万人になるそう。年平均で70万人の減少。実際はもっと減るのでは。まあね、人が減るのは致し方ないですよ。人人の選択の結果なのだし。其れが消極的な選択だとしても。国を維持するために人が居る訳ではないのですから。

 久久に朝から晴れた。レンチンうどんの後、早速草取り。どんどん毟り取って並べておく。今まで勘違いしていたのだが、双子葉類と単子葉類、後者の方が後なのだね。イネ科の雑草、どうりでよく伸びる訳である。平行葉脈の細長い葉は日光を浴びやすいのだそう。一方、スギナも生えている。農地では大敵らしいが、駐車場では芝生がわりの丁度いいレベル。此れはシダ類。嘗て地上を覆い尽くし、大量の石炭をもたらしたのだが、新生代では脇役程度。植物も栄枯盛衰が激しいと思った。そう考えると、将来はイネ科の大木=竹だらけの世界になるのだろう。みんな、タケノコとメンマを食べましょう。竹炭、竹箸、竹細工、竹皮、用途も色色。

続いて銀行へ。月末らしく混んでいた。少なくなったATМは高齢者が占領中。ネットバンクとか無理だよね。後は方方の清掃。此処まででたっぷり三時間。最近体の節節に違和感が。なんかスムースに動かない感じ。老化かしら。寝過ぎだろうか。猫背、運動不足。其れともまた何かの前触れだろうか。昼はピザトーストを自作。以後午睡。何時でも眠い。どうにも睡眠の質が悪すぎる。シロのせいだと思った。夕方近所のスーパーへ。300円の伊佐木の刺身で飲み始めた。

 

 

4/26・水

 米坂線の見積もりが出て来る。86億だと。もう少しお安くならないのかしら。上下分離で地元が引き取るにしても、此の金額だと厳しいよね。河川や道路も一緒に直すことにして、別の予算からも出して貰おう。なお数年前のお盆に乗った時は満席以上に乗っていました。二両で120人くらいは。日本海側から内陸に入る重要路線です。国産民間探査機は月面に衝突して仕舞ったそう。現在の技術を以てしても難しいのだね。そう考えるとアポロ計画というのは大変なものだった。吾人の生まれるちょっと前のことになります。

 朝から雨。昼は自作のカレー。寝たり起きたりしながら止むまで待って夕方前出社。生徒が来ないので八時には退社。須々木さんを隣り町の居酒屋に訪ねる。「大滝」という。ずっと前に通っていたのだそう。コの字の中の女将さんは鉢巻き姿。悪くないけど安くはないね。少し飲んで、何時ものBに転進。すると会社をクビになると叫んでいる若者が入ってくる。独り言が多くて上司に呼び出されたそう。仕方がないのでお相手したが、コミュニケーション能力に難があるなあ。酒場でも一方的に喋り続けて、礼も言わずに帰って行った。やれやれである。帰宅は十一時半。二軒で四千円くらい。以後、中カレーとシャワー入浴。

注・・なお須々木さんのお兄様は依然意識不明のまま。来月療養型病院へ転院になるのだそう。辛いね。

 

 

4/25・火

 福知山線の事故から十八年。一罰百戒的な企業体質は改まったのだろうか。それにしても本島会社三社のうち、西日本=超特大事故、東海=総帥からして可笑しな人物、ということはやっぱり一番真面なのは東日本ということになりますか。何れにしても、みんな国鉄時代の遺産で食っているのだから、もっとちゃんとした会社になって欲しかったです。

 昼は富久美に買いに行くも、先週旨かったビビンバ丼は無し。なかなか二匹目のドジョウはいないものです。本も弁当も。午後は段段と曇る。午睡の後、眼科に参る。眼圧測定、右18、左21とまあまあ。先生と少し犬と猫の話しをして帰った。続いて薬局へ。掛かりつけが廃業したので、お薬手帳から作り直し。此の薬局も嘗ては自家調合風邪薬まで出していたけど、経営が変わって現在はチェーン店のような造りになっている。それにしても、医薬分業や処方薬か売薬かというのは古くて新しい問題で、明治期からずっと問題になっていたと日曜日に買った本の冒頭部分に書いてあった。人人の営みは大して変わらないね。医1180円、薬3070円。

続いて「風間公親」第三話。瀕死の被害者が峠を越え、管轄違いの他県へ倒れ込もうとした点などは割と見応えがあった。それにしても犯人は予め分かっているから、古畑任三郎のシリアス版と言った感じ。動機なき殺人事件や被害者無き強盗事件とか、もっと難しい課題にチャレンジして欲しい。晩はスーパーの半額牛を焼いた。

注・・診療所に行った際は、久久にマスクを付けた。多分今月初めて。よくこんなものを付けていたと感心した。苦しくて仕様がない。

 

 

4/24・月

 昨日の補選、与党が大勝。千葉は乱立野党で共倒れ、大分の一騎撃ちでも勝てなかった。愈愈戦争を起こすだろうな。なお世田谷区長は現職が再選。此の人もあんまりぱっとしない。元教育ジャーナリストらしい施策をして欲しい。誰でも通える小中学校とかを作って欲しい。

 やっぱり曇る。引き続き涼しい。少し草取り。続いて銀行へ。あと三回。兎に角、上着がある内に輸送しなくては。『教科書で出会った名詩一〇〇』が届く。併し只管本文があるだけで、『名作小説一〇〇』のような解説は無し。あらまあ。本も見て買わないと駄目だねえ。午後のラジオからは「ⅠLOVE YOU」が流れた。今週は尾崎忌である。但し歌は息子さんの方。もう三十歳だそう。なかなかいい声をしていると思った。併し、歌と声は相続出来るが、カリスマ性というものは相続出来ない。(世襲政治家とは違い)なかなか大変だろうと思った。以後出社。また一時間ほど歩いた。九時の退社後はBに参る。皆さんいらっしゃったが、高瀬さんもいるので、終始盛り上がりに欠く。二杯で終了。1500円。実に小鯛の煮つけしか食べていない。腹を空かしたまま帰宅。レンチンうどん。レンチンのかき揚げ付き。残り汁に御飯も投入。旨かった。夜は寒いほど。

 

 

4/23・日

 ネピドーでは巨大な大仏が建立中だそう。国軍の手で。仏像に心があるのなら、恥ずかしくて自ら崩れ落ちるだろうな。東北電力管内では出力制限。風力発電のグラフも不自然な形をしていた。勿体ないです。知床の事故から一年。社長の立件はまだのよう。

関東南部はやっぱり曇る。八時過ぎに中学校へ。区議と区長選挙。何処か遠くに行きたかったが、近間の東急沿線に出掛けた。溝の口へ。電車賃が勿体ないので二子新地で下車。此処までだと180円。取り敢えず、「文教堂」へ。漫然と棚を観ていると、『医療と戦時下の暮らし』という本が目に留まる。多くの日記の引用しながらあの時代の医療と社会を振り返ったもの。買わずにはいられなかった。

さてさて溝の口ならば「元祖寿司」。回転前から待っていると店の前では中古車の展示会。屈託ない営業員から声を掛けられる。体裁のいいSUV車、数百万円。こんな車で新緑の峠道を走ったら爽快だろうと思った。うーむ、確か自動車学校を優秀な成績で卒業したのは十九の頃。あのままモータリゼーションしていれば今とは違った人生になっていたのでしょうか。併し今更、他の道には戻れないな。鉄と酒の道を極めるのみであります。そんなことを考えながら、ビール一、日本酒二。続いて西口に移動。「南甫園」という町中華屋へ。日本酒と具だくさんなタンメン660円。たっぷり飲んで食べて帰った。飲食費四千円。本代五千円余。午後は晴れたが、大量午睡。晩は残り物と家人が買って来た肉まん。くしゃみと鼻詰まり。久久に抗ヒスタミン

 

 

4/22・土

 暖気は抜けて、ぴりっとする。五月から三月に戻った感じ。曇り。朝からそばを茹でた。「東都挽きたてのざるそば」。生協で購入。売りは国産小麦粉を使っている点。詰まりそばは輸入。而もそば割合は三割だと。ほぼ逆二八そば。もっと蕎麦を植えて欲しいと思った。

二度寝、買い物の後、小屋で寝ていたミケを急襲。まず毛を梳いてやる。ミケに触ったのはふた月振りくらい。午後一番で漸く予防接種。開院前から待っていると何処かで見た御婦人が。眼科の先生であった。座敷犬さんの予防注射だそう。此方は法定接種。お互いに地域医療を支えていますなあ。以後草取り。それにしても狂犬病という言い方も、ちょっと昭和チック。改名してくれと愛犬家から苦情が出そう。昼トビにしたので、東急の弁当とイシモチを焼いて、明るい内から早夕飯。

訂正・・よくよく見ると蕎麦粉も国産でした(5/13記す)

 

 

4/21・金

 またまた高温な日。クリーニング店に羽毛のジャケットを搬送。2200円。案外高い。昼は家人の親子丼。此れだと二人前で鶏肉300円、玉ねぎと卵で合計五百円程度。午後出社。体調不良の生徒多し。既に五月病かしら。退社後はBへ。皆さん勢ぞろい。併し何だか酒の巡りが悪い。今夜は二杯で終了。1240円。吾人は万年五月病。今夜は特効薬=酒も効かなかった。帰宅後お茶漬け。

 改正地域交通再生活性化法が成立。再構築協議会を作るらしいが、国が気前よく金を出すとも思えず。嫌な予感しかしない。早く旅に出なくては。

 

 

4/20・木

 第九波は、第八波以上になると専門家有志が警告。何故なら未だ集団免疫状態には達していないと。ホンマですか。九波が来るなら、とっくに来ている筈です。もう終わったのです。コロナは。

朝から資料づくり。幾つかの書面をコピーして、分厚い申告書は丸ごと送ることにした。たっぷりと付箋を付ける。送料980円。それにしても此の申告書にほぼ初めて目を通したね。大変な労作である。一方家人は微熱。カロナール投与。昼飯を買いに祐天寺。先ずは駅前書店で『谷崎潤一郎疎開日記』と『教科書で出会った名作小説一〇〇』。後者の逐次解説がいい。吾人は富久美のビビンバ丼。家人には笑口房の塩焼きそば。

午後は暑くて作業不能。という訳で数日遅れてNスぺ「証言ドキュメント・日銀異次元緩和の10年」。色色と努力されていたことは分かったが、金融政策だけではデフレ脱却には至らず。同時に最低賃金の上昇や、派遣労働者正規雇用への転換等の労働政策があればもう少し変わったかな。デフレ=賃金を削って安い物を作ることですから。それにしてもあれだけの緩和マネーは一体何処へ行ったのでしょう。入りもしないタワーマンションや要りもしない商業ビルになったとか。せめて風車や水車や太陽光パネルにもっと投資していれば、今頃の電気代は下がって来ていて、みんなが喜んだ筈なのですが。何もかもが間違っていたとは言わないけれど、精精50点くらいです。ああ。晩は千代田寿司他。本日の昼夜で四千円近くも購入した。拙宅の緩和マネーはみな近所の総菜類へ。

 

 

4/19・水

 ぴりっとかんかん照り。亡父の誕生日。生きていれば98。やっぱり無理だね。百まで生きるというのは大したものだと思った。続いて家作の清掃。すると205にはウーバーが。元気そうです。他はガス器具の点検。さりげなく給湯器の交換を勧められる。13年ものだけどまだまだ頑張れます。

昼はスーパーのチキンカツ他。午後出社。一時間ほど歩いた。取り立てて何も言うべきことのない日。五月蝿い小学生にはまた怒鳴って仕舞った。不思議なもので、怒りというのは反復性がある。怒鳴れば怒鳴るほど、怒鳴りたくなる。出来ることなら一度も怒鳴りたくはないのです。八時の退社後はBへ。岡田さんと妹さん他。三杯程度。1600円。早めの帰宅。というのも優子さんから淳子叔母さんの相続に際し、色色と資料が必要だと言われた。何でも測量図が欲しいと。コピーして送って欲しいと。うーむ、早速仏壇横の万代伯母の際の申告資料を開ける。此れがそっくり使えるかと。考えて見れば、全く同じものを優子さんも持っているよね。よくよく考えることが必要。相続は誰でも初舞台であるなあ。シャワー入浴後、緑のたぬき

 

 

4/18・火

 区議選が始まり、かしましいこと限りなし。選挙期間は一週間、ああやってがなり立てる以外に手がないよね。議員さんたちは平素からも活動している筈なのだけど、過去の人生、区政を巡って区議さんと話したことなど一回あるかないか。大きな区だからかな、区民九十万に対して議員は50人だそう。なお和歌山の事件の容疑者は被選挙権がないと怒っていたらしい。二十五歳まで待てなかったのかね。大抵の人は、選挙なぞ、出ろと言われても出ないけど。

 概ね晴れ。保証会社の方から、205の人と全く連絡が取れない。緊急に安否確認に入りたいと言われた。朝から待機していたところ、本日の訪問はキャンセルとなる。鍵の提供などは最終手段である。延期になって良かった。見たところ、少なくとも電気は点いている。元気に暮らしていることは判明しています。さてさて大きな予定がなくなった。時時草取り。歯医者で疲れた家人には食堂の弁当。吾人の昼は上馬の油淋鶏定食。750円。午後、再び大沢さんが来る。此のままでは205は立ち退き訴訟になると。またまた何だか分からない書類に署名と捺印。困りました。兎に角、保証会社と連絡を取るようにと吾人も手紙を入れた。午睡の後、夕方前に床屋。100円上がり1200円になる。此れで適正価格だよね。やれやれ、何だか草臥れた。ちょっと寒いけどシャワー入浴。髪も短いと楽である。一昨日の鰤で早めの晩酌開始。

注・・よくよく読むと、家主が損害を被っているという事実を作る為に、家賃の建て替えを中止しますという書類だった。

注・・あの千円均一の何とかハウスが現れたことで美理容業界は大変な苦難を味わった(と思う)。現在は1350円だとか。吾人の幼少期は、総合調髪三千円はしていた。小学生だけど肩まで揉まれた。

 

 

4/17・月

 米中対立の深刻さには一種の感情論があると。特にコロナで沢山の方がお亡くなりになった米国。誰もが身内や知人を亡くしているからね。此れは日薬で収まるといいけど。土佐くろしお鉄道は巨額の赤字。特に中村方面が酷いそう。大井川鉄道はお客が少なすぎて代行バスすら満足に走らせられないと。一日六便に減便した上、自治体に移管したいと。困りました。

 寒気が入ったが、やっぱり晴れると暑いほど。風も強い。つくづく風車が欲しいと思った。午前中は時折草取り。二月の電気使用量334キロ、昨年比三割減。1.1万円余。後半から急に暖かくなったから助かった。午睡の後の出社。少しチラシ配り。自転車を乗ったり押したりして一時間ちょっと。殆ど散歩である。退社後はBに参る。皆さん勢ぞろい。1800円くらい。帰宅は十一時過ぎ。なお出社途中、元生徒のKさんと会う。お母さまが亡くなったそう。まだ五十四だと。早すぎるね。

ひと休みして「風間公親」第二話。今回もあっという間に解決。併し保護者が嫌な担任教諭を殺害するなどとちょっとあり得ないような事件。而も此の科学捜査の時代に自白偏重の捜査方針。やや現実離れしていると思った。あのドラマは警察学校という特殊環境下だったからこそ面白かったのかもしれない。訓練生の些細な嘘を暴くとか、問題行動の原因を探るとか。

 

 

4/16・日

昨年の人口減は75万人。鳥取島根クラスの上、山梨福井くらいの県が丸ごと消滅するほどとなった。長崎線では電化設備の撤去が進む。一方来月から室蘭線には新型電車が入る。架線はあるのに電車が足りず、気動車が走っていた。客車を改造したキハ143という珍車も引退。一回くらい乗ったかなあ。千葉の鼠の国も開業四十年だそう。出来た直後、亡父と行ったっけ。浦安からバスに乗って。雨降りでも混んでいて、トムソーヤの冒険とかいう舟くらいしか空いていなかった。割と早めに帰った気がする。バスが混んでいて浦安まで歩いた記憶が。当時父は五十八ということになるか。頑張ってたな。仏壇に手を。

未明に漸く止んだ。グレはちぐらで寝ていた。早速向かいのびっくり箱の片づけ。ゴミ拾いは二周。以後晴れて来る。運動がてら自転車で出掛けた。世田谷の中心方面へ。経堂周辺も変わったね。しばしば通った古本屋もないだろうな。更に奥の方へ。前から気になっていた「ラーショ・マルミヤ」に入る。松原駅前。ラーメンショップインスパイヤー店。チェーン展開もしているみたい。基本のラーメン780円。もやしをプラスした。880円。背油多め。割と食べ出があった。但し塩分注意。

後は世田谷線沿いに戻る。「美の輪寿司」が閉じていた。税務署帰りに何回か買って帰った。閉店のお知らせにはびっしりと寄せ書きが。愛されていたのだね。家人にはピーコックの中華弁当。日差しが強いので、本日は此処で撤収。二時間半。続いて西友でズボンの引き取り。久久の新調である。いい感じ。すると軽い雷雨。早めの入浴。晩は富山の鰤を焼いて気分良く飲もうとした。すると火災警報器が鳴る。台所は煙もうもう。鰤を取り出した後、箸を燃やして仕舞ったよう。あれで気が付かないというのだから、家人の嗅覚はゼロになっている模様。色色と残念です。他は八つ手の剪定。もう蚊がいる。何処から出たの。

 

 

4/15・土

 ジャパンレールパスも大幅値上げ。七日間用で五万円に。もっと値上げしてもいいよね。序でにのぞみも乗れるようにするのだと。ジパング倶楽部でもそうして貰いたいです。ドイツの原発は全停止。お隣りのフランスも前ほど動かさなくなったという。世界的には此の傾向。

朝からびっちり冷たい雨。此の処、固定電話には大変な量の着信が。区議会選挙絡みだな。迷惑電話です。昼は地元の大型店。ビール一、日本酒二。ついつい食べ過ぎて四千円。鰯が旨かったけど、うっかり高い皿も取って仕舞った(鮪三貫で800円)。よく分からないんだよね、あの絵皿。見本の写真と現物の色合いがかなり違うので。階級章のように星と線で表して欲しいと思った。家人には東急の弁当。午睡の後、晩は簡単すき焼き。夜半に掛けて何度も上厠。食べ過ぎた。グレは小屋に入らず。昨年買ったちぐらを出して置く。餌も小屋も飽きるのだね。

応援演説中のKに爆発物が投げ込まれる。幸い威力は市販の花火程度。本格的なものだったら危なかった。和歌山の衆議院補選だそう。海外から見たらザル警備なのだろう。日本は安全な国だから。容疑者は二十四歳。所謂コピーキャットかな。人生巧く行っていない人が多いから。

 

 

4/14・金

 陸自ヘリは漸く見つかる。水深百メートル付近。ちなみに機体は99年製だと。古いよね。新幹線でも廃車になる年齢。熊本地震から七年だそう。丁度あの頃、子猫を保護したっけ。クロちゃんは元気かな。南阿蘇線も復旧すると。高千穂鉄道も直して欲しいです。全国的にドライバーが不足しており、路線バスに続き、高速バスも減便だそう。待遇が悪いから集まらないのか、そもそもドライバーがいないのか。もう少しJRがまとめて運ぶべきだと思った。「さざなみ」も何とか復活して欲しい。バスは値上げ、特急は値下げすれば、随分変わるだろう。観光快速か急行料金程度にして欲しい。詰まり840円くらい。

朝から足りない食料品の補充。牛乳、塩鮭、うどんなど。続いて銀行へ。午睡の後、出社。例によって大した生徒がいる訳でもない。ぼんやりと指導す。最後は中二の数学。イチ君は未だに正負の計算が出来ない。そう言えば、年の離れたお姉さんも全く数学が出来なかった。ここら辺は血筋だな。九時過ぎの退社。まずBへ。続いてIへ。最後はラーメン亭まで。全部で五千円くらい。帰宅は十二時頃。するとシロは屋根で待機中。腹が減っていたみたい。

 

 

4/13・木

 朝方はミサイル騒動。北海道が危ないと。結局直ぐに解除。既にオオカミアラート。なお北の国は本邦を狙うとは一言も言っていません。大阪湾にカジノリゾートを作るのだそう。わざわざ日本に来て、賭け事とかしないよね。古都観光プラスおたのしみのカジノとか。趣味が違う。ラスベガスは砂漠の一軒家で、何もないからあれを作ったのだし。まあ府民と市民が望んだことらしいですから、都民は知りませんけど。ミャンマー国軍は再び住民を虐殺。民主派の式典を空爆した。Kは大阪に出向き、万博起工式だそう。パビリオンの入札不調の件はどうなったのだろう。

 関東は穏やかな気候に戻る。まず収集車がまき散らしたゴミの回収。どうにも若い作業員さんは親の仇のように収集車に放り込む。あんなに沢山入れてはローラーが上手く巻き取れないよね。今朝は特に酷かった。一方、北側の通りは業者が違うらしく、ベテランさんがゆったりと無駄のない動きをしている。巻き取りも綺麗。他は草取り少少。続いて銀行から郵便局へ現金輸送。渋谷の支店まで行けば解約出来るとは思うが、家人にはもうちょっと無理。そもそも此の口座、亡父の相続の時に作らされたもの。八十歳以上の人に新たな口座を作ってはいけません。

昼は駒沢方面へ買いに出た。久久の「キッチンたきたて」。ついつい「パオン昭月」にも。昭和のパン屋さん。こういう店は貴重ですなあ。午睡の後、夕方にも草取り。取った草を敷き詰めて踏みつける。名付けてグリーンアスファルト作戦。巧く行くかどうか。夕方、近所の酒屋で安ワインを仕入れる。なお道具屋さんのお爺さんは亡くなったそう。ずっと閉じていた。一昨年、物干し竿を買ったのが最後だった。合掌。晩はある物で軽く済ませようと思った。すると家人は自分の食べるものがないと不満たらたら。買うか作るかしないと食べ物はありませんと怒鳴ってやった。黄砂が怖くて家から出られないのだと。此の東京の何処に砂が飛んでいるのだろう。下らないワイドショーの観すぎである。また口論。九時就寝。

 

 

4/12・水

 昨夜から南の大風。桜は青森まで開花。二週間以上早いそう。今年の梅は一週遅かったが、桜は一週早かった。桜前線は更に加速して北上した模様。となると、夏が長いのかしらん。台風が心配である。大手芸能事務所創業者(=もう故人だけど)による、性被害を訴える声が相次ぐ。併し国内の主だったマスコミは取り上げず。まだ桎梏があるみたい。業を煮やした元アイドルさんが記者会見。但し外国人クラブにて。

朝方は再び草取り。取ったイネ科の雑草は其のまま寝かせておく。いずれ枯れるハコベとともに天然の防草シートになる筈である。須美伯母が来たけど、昼は自作のカレー。伯母は玄関周りの草を取って帰って行った。午後出社。九時前の退社後はBへ。すると入り口付近でママ友三人組が大声で談笑中。内容は子どもと旦那と学歴のことばかり。凡そ社会と言うものがないと思った。気勢を削がれ二千円で退出。帰宅は十一時前。シャワー入浴後、中カレー。白ワインと夕刊。「大波小波」は沖雅也論。曰く、彼は坂本教授の分身であったと。詳しいことまでは分からないが、当時小学生の吾人から見ても、ちょっとニヒルでかっこいい若おじさんでしたね。日暮里舎人ライナーは三日連続で満足に運転出来ず。

 

 

4/11・火

 朝はたけのこ御飯の残り。一晩寝かせるとまた旨い。御飯が進むね。いや併し、此の混ぜ御飯というのは戦前の節米料理として広まったと聞いたことがある。当時の日本は朝鮮や台湾からコメを持って来ていた。其の分の船舶輸送力が勿体ない。だから成るべくコメを食べるなということ。枝豆、卯の花、大根、ジャガイモ等を混ぜたという。主食すら満足に作れない貧乏な国は、其の後、太平洋の向こうの国に喧嘩を売りに行くこととなる。

続いて乾坤一本、ズボンを買いに行く。地元に二つあったジーンズ専門店は何時の間にか姿を消し、結局の西友に参る(みんな何処で服を買っているの?)。此処も売り場が小さくなった上に、一本五千円くらいのものしかない(もっと安いのないの?)。なお裾上げには四日も掛かるという(そんな馬鹿な!)。身の回りがどんどん不便になっているなあ。以後草取りと低木刈り。昼は蕎麦を茹でた。

午後は夏日となる。作業不能。ということで、一日遅れてドラマ「風間公親」。単発から連続ドラマに昇格した。キムタク教官が教場を飛び出して、現場で捜査指導する。忽ち二つの事件を解決。あれでは捜査一課長をやって貰った方がいいよね。なお今度の決めセリフは「交番勤務に戻って貰う」。ちょっと此の表現は拙いな。地域課から苦情が来るでしょう。夕方前、巨大化したフキを刈る。昔は(勝手に)取っていた人がいたのだが。今ではすっかり可燃ごみ。晩は家人の青椒牛肉絲。

それにしてもN党は何とか党に名前を替えたとか。新しい女性党首は直ぐに除名になったとか。やっていることが滅茶苦茶だなあ。まあね、公共放送が高いだとか、無駄だと思う人はどちらかというと社会のアンダークラス。そういう人は見ないもの。だから要らないと思うのでしょう。困りました。よくよく選ぶと、なかなかいいのをやっていますよ。民放では出来ないような。

注・・『戦下のレシピ』という本に詳しい。

注・・ドラマは教場ゼロという設定。まだ教官になる前のこと。以後、ポンコツな警察官を減らすために警察学校に赴くことになるらしい。

 

 

4/10・月

 引き続きの晴れ。朝は寒いが一気に気温が上がる。昼は早速のたけのこ御飯。柔らかくて新鮮だそう。えぐみ(=シュウ酸)もないから安全。養老駅前で売っていた。朝採れ品だそう。穂先が黄色いのは出たての証拠だとおじさんが言っていました。700円。大沢さんが来て、205の督促状に再び署名と捺印。ああ。午後出社。暇なので久久にチラシ配りなど。退社後はBと中華。Iの店主夫婦さんも御一緒。先週は沖縄に行っていたのだそう。3500円。帰宅は十二時過ぎ。

 

 

4/9・日

 早速出掛けた。まず始発のバスで目黒。続いて品川へ。君津行が来るというので、折角なのでグリーン券を買って待機。やって来たのは217系。取り立てて古さはないが、此方は引退間近である。行き交う電車も既に半分は新車になっている感じ。JRになって車両更新の頻度が上がっている。でも鉄道に詳しくない人は乗ったところで気が付かないのではなかろうか。実に其の程度の変化でしかない。二階席に腰掛ける。

それにしても千葉方面に来るのも久久である。ゴルファー多し。一時間ほどで五井到着。小湊鉄道へ乗り換え。実は初乗である。何時でも乗れるという安心感からか乗って来なかった。待たせたね。跨線橋の上のおばちゃんから乗車券を購入。房総横断乗車券、二千円。やって来たのはキハ200というオリジナル車両。古い気動車である。オールロングシートだけど車内中ほど、煙突部分を背もたれ代わりにして座るのが通。二両は満員近くに。ざっと150人は乗っているね。行楽客多数。後続のトロッコ列車も満席だそう。繁盛していてよかった。

九時過ぎの発車。揺れる車内、唸るエンジン、木造駅舎、車窓には里山。既に田んぼは代掻き中、花もある。切符は車掌さんが手売り。大きながま口から出してパチンパチンと穴をあける。昭和の鉄道其のままだね。堪能しました。一時間と少しで養老渓谷着。吾人も下車する。カジカ(?)の鳴く駅の周辺をひと回りして、駅前食堂が開くのを待つ。何しろ小湊鉄道にもいすみ鉄道にもトイレがないから、此処までノンアル旅である。お昼前に漸く開いた。早速、ビール→みそおでん→日本酒→山菜そばの算段で注文していく筈だったが、日本酒は無し。そばも時間が掛かりそう。後ろの二品は断念す。ビールを飲んで後続の列車に急いだ。可笑しいな、此処では二時間もあったのに。名物の山菜そば、食べたかったです。何しろ、今回は何も決めないし、何も調べて来ない。手ぶら旅である。

ひと駅で終点上総中野。トイレ休憩。直ぐにいすみ鉄道へ乗り換え。此処から先は第三セクター。線路と車両がよくなる。其の分、ワンマン運転。なおいすみ鉄道は元国鉄木原線。木は木更津、原は大原。当初は久留里線と結ばれる筈だったそう。そう言えば小湊鉄道も小湊には行かない。千葉も地形が厳しいから、未成線の宝庫である。新型のキハには大勢乗っているが、小湊線に比べて鉄分多めの人が多い感じ。此方の沿線にはあんまり観光地がないからね。皆さん既にお疲れモード。乗り鉄撮り鉄も入門者さんといったところかしら。東京から近いけどやっぱり朝は早いからね。終点大原下車。兎に角、腹が減った。駅前食堂に駆け込み、アジフライとタンタンメン、日本酒とハイボールを胃に放り込んだ。さてさて次の列車は特急わかしお。二両の自由席は混みそうだが、幸い最後の窓際に坐れた。茂原までにはぎっしり満席に。指定席は空いているようだけどやっぱり自由席がいいね。なお後から乗って来た隣りの人はスマホの決済に失敗したみたい。現金で支払わされていた。

京葉線経由なので矢鱈と遠い方の東京駅へ着いた。延延と歩いて山手線へ。目黒から再びバスで帰る。帰宅は五時過ぎ。大きなタケノコしか買って来られなかった。入浴、休憩の後、晩食は唐揚げを買い行った。中瓶のみ。ノーマスクだけど、花粉被害も無し。楽しい春の旅でした。九時就寝。飲食其の他四千円、交通費概算七千円。其の内、グリーン料金が800円、特急料金950円。結局、根元の部分のJRが一番儲かった筈。旅とはそういうものです(だからローカル線を切らないで欲しい)。

注・・通常の「わかしお」は五両編成。あと二両くらい欲しい時もある。あずさとかいじで使っていたE257系の付属編成、何で捨てて仕舞ったのでしよう。「草津・四万」でも使えたのに。

 

 

4/8・土

 久久に朝からすき家の牛丼とサラダセット。590円。何だか機嫌が悪い家人には小淵沢「丸政」のたけのこ弁当。1250円。近所のスーパーの駅弁フェア。併し御飯が辛くて食べられないと。あらまあ。寒気が流入し、午後は一雨。三月の売電量288キロ、6912円。中日は最下位に。可笑しいな、WBC代表チームに唯一勝ったのが中日ドラゴンズなのですが。晩は鰆を焼いた。時折『芹沢光治良戦中戦後日記』。

 

 

4/7・金

 宮古島周辺で陸自のヘリコプターが遭難。視察中の師団長も乗っていたという。動物王国の方もお亡くなりに。あの番組は受けていたな。八十年代のことである。今なら放送できないようなことが多多あったかと。テレビに最も勢いがあった時代。東海は27年のリニア開業は無理だと正式に表明。静岡の問題だけではない。都心部も殆ど掘られていない。あれだけ掘り進めていた北海道新幹線だって30年の札幌延伸は延期になっている。そもそもが無理な計画です。

 昨日からずっと大風。時折雨も交じる。東電管内にもっと風車があればね。久久の血圧測定、136の95。但し四回目。昼は家人の親子丼。午後出社。愚にも付かないことを教えて九時の退社。夕方からの雨は夜半までには止むとの予報。とことん飲む所存である。まず新しく出来た日本酒バーのようなところへ参る。立ち飲みプラス越後湯沢ぽんしゅ館のようなコイン式。四枚で千円だから一杯250円。銘酒が揃っているが、残念ながら少ししか出て来ない(50ミリだそう)。あっという間に二千円分は飲んだ。続いてBへ。佑子さん、須々木さんと合流してせい家。Iが閉まっていたので、中華立ち飲みまで回る。帰宅は一時半。数千円。家人は鬼の形相で待っていた。

 

 

4/6・木

 曇りのような晴れのような。終日南風強し。朝から久久の富士そばプラス通帳記帳。天ぷらそばは540円に値上がりす。驚いた。此れでは気軽に食べられない。店内は閑散としていた。みんなコンビニでパンかなんか買って食べちゃうよね。300円で済む。もう少し考えて欲しいです。お客が来なくなったら元も子もないのです。それに最近のかき揚げは固くなって前ほど旨くない。

続いて別の銀行へ。家人の口座の整理整頓。定番口座に送金しようと思ったが、お取り扱いは出来ないとのこと。結局紙で下ろしてATMに搬送す。一回五十枚まで。手数料も掛かる。ああ面倒臭い。他に家作の掃き掃除。逸れた洗濯物を目立つところに移動させ、置いて行かれた不燃ごみの片づけ。不断の努力である。吾人の昼は抜き。家人にはスーパーの弁当。午後は漫然とし、晩は300円の鮪の鎌焼きと自作の余り白菜の炒め物と炒り豆腐。味が足らず後者は家人が作り直した。途中明日の資源ゴミのコンテナの展開。夜まで暑い。半袖就寝。

 名古屋の入管事件の映像が公開される。スリランカの方が放置され衰弱死された事件。どうして病院に連れて行かなかったのだろう。119番一本で済む筈。医療関係の予算が限界になっていたのだろうか。あるいは職員たちは此処まで体調を悪化させた責任を問われるとでも思ったのだろうか。入管職員の質が物凄く低いとか。あれは法務省現業職員になるのかしらん。

 

 

4/5・水

 A新聞はまたの値上げで月4900円に。土曜の夕刊を無くしてでも現状を維持して欲しかった。つくばエクスプレスは土浦に延伸の模様。無難なラインである。元元は筑波鉄道があったところ。それにしてもつくばから水戸方面へ、どの程度の需要があるのだろうか。現在高速バスが一日数本程度。単線で安く仕上げるという訳にも行かないか。

お昼に出社。講習最終日。通常授業の準備等を済ませ、七時過ぎの退社。須々木さんを誘って、T太郎という新店に。と言っても五十年はやっているという老舗コの字酒場。女将さんは和服に割烹着。大瓶700円と少しお高いが、お晩菜が充実。全て時価というのが気になったが、ビール二、酒二、サワー類三、鮪と鰺の刺身、肉団子、煮しめ、から揚げ、竹の子初煮で約一万円。偶の贅沢だね。久久の外飲みだもの。案外若いお客も入っていた。いい店だとは思ったが、後継者はいない感じ。あと数年かしらん。また行きますよ。Bに転進してから帰る。帰宅は十一時。

 

 

4/4・火

 北海道の自己都合退職者が年間200人超も。困りました。赤字赤字では士気も上がらないよね。せめて鉄道に冷淡なあの知事が代わってくれるといいけど。政府は少子化対策で大盤振る舞いをするとか。子育て世帯は多少楽になるとは思うが、赤ちゃんが増えるとも思えず。そもそも財源がないよね。また増税されます。

 今日も晴れ。ほぼ清明。午前中の民放ラジオは、終活指導に、空き家・自宅の処分に、相続の話しばかり。其れだけスポンサーがいるということ。聞いていて苦しくなるね。ラジオを消してぶらぶらと中目黒へ散歩に出た。花見の時期も過ぎ、落ち着いた雰囲気。ブックセンターで『ブラットランド・下』。文庫になっていた。余りに悲惨な内容なので上巻で止まっていた。1760円。それにしても文庫本も高い。一回りして「ホープ軒」でラーメン。850円。家人には「東急プレッセ」で売っていた亀戸升本の小折詰。千円。09系統で帰る。一万歩。成るべくバスに乗ろうとはしています。晩は近所のスーパーで買い足した。

注・・大差で再選された。

 

 

4/3・月

 久久の日中外相会談。そんなこんなで内閣支持率は回復中だそう。皆さん、権力者に甘いよね。全国各地で入社式。まだやっているのだね。部門ごとの懇親会で十分かと。なお今月から再生可能エネルギー賦課金が下がり、電気代はやや下がるという。制度開始から十年経って買取価格が下がったことが主因だが、火力発電の原価が上がり、自然エネルギーは相対的にも安くなっている。

概ね晴れる。お昼に出社。久久の出社だが取り立ててどうということのない日。五時には退社。碑文谷の「鳥忠」の焼き鳥を買って帰る。一本140円。花粉も収まり、本日から完全ノーマスク。

 

 

4/2・日

 未明に少し降った。曇り。ややひんやり。花見は此れくらい=ちょっと寒いくらいが丁度いいと思う。家人は鎌倉へ。もうすっかり大丈夫なよう。朝は自作の肉南蛮そば。夕方前、家人帰宅。其のまま仮眠。疲れたよう。晩は「つるや」のうな重の残り半分と崎陽軒のチャーハン弁当など。少量飲酒。

 

 

4/1・土

延期されていた花見会に向かう。場所は例年と同じ、多摩川台公園。四年ぶりの開催だが、参加者は奥野さん、須々木さん、岡田さん他。現地はガラガラ。併し桜の木はばっさり剪定されており、凡そ木の下と言うものがなくなっていた。快晴、無風。凄い日差し。五月の陽気。異様に暑くなる。吾人はカセットコンロを持参したが全く不要だった。佑子さんの茹で野菜、村田さんのチキンカレーをつまみに飲み進める。それにしても、此の花見会、元元は鶴木さんが言い始め、吾人と同じ職場だった仲田大将が広めた。最大で十数名は来たかと。ピークは震災前の頃になるかなあ。

併し九時過ぎから始めたところ、午後二時には飲食限界点に。其のまま帰宅。四時過ぎ。以後睡眠。皆さん色色と持ち寄ってくれたせいか、吾人の持ち出しは紙皿やコップ類のみ。此れもいつかの花見の残り物である。支出は交通費だけだった。バスと東横線。ちょうど800円。なお岡田さんは三十八年勤めた会社を昨日退職。今後は週三回出社の派遣社員としてまた通うそう。