大臣の軽い決断

行きつけというほどではないが定期的に行く居酒屋が何軒かはある。どこも老夫婦でやっていたりご婦人一人でやっていたりと、ささやかな小商いである。店主たちは、客が少なくなったと嘆く。昨年来の経済危機の影響であろうか。
お客のなかには公務員もいるだろう。なかには天下りしたような人もいるかもしれない。政権交代と役所がらみの出費が減ることは望ましいことだが、削減の余波は巡り巡って、こうした市井の小商いを苦しめることになるかもしれない。(接待で使うような高級店がどうなろうが知ったことではないが…)
ダムの湖底に沈む予定の人びとはどうか。建設賛成・反対、やるのやらないので数十年。その人の人生そのものがすっぽり入るだけの時間を費やしたことになる。
無駄と思われるその大型公共事業を続けてきた官僚と旧政権の政治家の無能と無責任を追及することは易しいし、政策転換は必要である。だが、中止を明言する新政権の政治家の顔にもっと苦渋の表情があっていい。
その決断の下には多くの人々がいる。それは、幾多の人生と生活を再び大きく変えてしまうかもしれない。ならば、自らの決断への思慮、さらに言えば恐怖をもっと感じてほしい。政治家自身が己の権限に恐怖を感じ、そしてその恐怖に辛うじて打ち勝った上での決断であってこそ、多くの人びとを納得させるだけの説得力を持つはずである。