繊維から自動車へ・・・斜陽産業

 食の自給率向上が叫ばれているが、衣の自給率だって相当なものになっていると思う(原料レベルでは多分ほとんどゼロ)。私は日本国内で綿花や麻が栽培されているところを見たことがないし、絹すなわち桑というものは、地図記号でしか知らない。
輸入された繊維原料を糸に加工する工場はある程度残っているらしいが、今日衣料品の多くは完成品の形で輸入されている。となると、綿花や麻や桑畑に引き続いて、日本国内から繊維・紡績工場はもちろん、ついには縫製工場までもが消滅するのも時間の問題のように思える。(当然、一部の高級品は残るだろうが…)
 かつて日本の花形輸出産業で、日米繊維摩擦まで引き起こした一つの産業が、音もなく消え去ろうとしているのだ。
 そしてその後、貿易摩擦の火種になったのは自動車やカラーテレビだったが、こちらの方は、少なくても昨年の夏ごろまでは健在であった。
むしろ電機・自動車産業のおかげで、2000年代半ばの好況があり、また日本経済の輸出依存度は10年前より高くなっていたというから、経済素人の私などは驚きである。まさか21世紀にもなって、そんなにクルマや電化製品をザクザク作って輸出していたとは…。
繊維産業の急激な衰退に比べて、電機・自動車産業は国際競争力をつけ、産業としてよく生き残ってきたとでも言うべきであろうか。
 むろんそこには、労働者の賃金引き下げ、つまり正社員から期間工・派遣工・請負への転換という経営「努力」があったわけだが、今日のハケン問題の噴出はその目論見が破たんしたことを意味している。
だが、そもそも、国内の労働者にもう少しまともな給料を支払っていたのなら、企業はその負担に耐えられなかったはずで、工場の多くはとっくにアジアに移転していたことだろう。今ごろ、国内の製造業はもっと衰退しており、アジアからの逆輸入車が路上にあふれていたかもしれない(いわゆる産業の空洞化)。
 おそらく、国内でクルマやテレビを作って輸出するというビジネスモデルは、かなり以前に寿命を迎えており、そこを日本企業は人件費の極端な切り下げという禁じ手を使って延命を図ってきた。その延命措置が、金融工学に沸いたアメリカへの輸出増と結びつき意外にヒットしたというのが2000年代の好況の正体である。そして今日の金融危機とともに、患者はいきなり危篤に陥ったというわけである。
いずれにしても電機・自動車関連の大量失業もしくは雇用喪失は避けられなかったということであろう。早いか遅いかの違いで…。
こうなるとあまりに身もフタもない結論になってしまい恐縮だが、では電機・自動車に代わるような新しい産業の創出・育成というものは、あるのだろうか…? (少なくても、私には思いつかない…。環境? 観光? アニメ? まさかね…。)
 ないのなら、輸出で大儲けしようなどという発想は、もはや捨てるべきであろう。その分、内需を中心にどうにかこうにか身の回りにお金を回し、ホームレスや絶望した若者を出さぬよう、経済や社会の仕組みを改めていくしかないのである。