いっそ国会議員を倍にしたら

日本国政府の借金は、数百兆に達するらしいのですが、こうした議論をするとほとんど反射的に出てくるのが、議員定数の削減の話です。まあ、国会議員ひとりあたりにいったいいくらの経費がかかっているのかは詳しくは知りませんが、その定数を多少減らしたところで、せいぜい年間数十億の節約にしかならないでしょう。全くもって焼け石に水というわけです。
一方それにひきかえ国家公務員は数十万人といますし、国家予算は数十兆円。その働きぶりをチェックするうえでは、「国民の代表者」(日本国憲法)が数百人というのは、むしろ少ない感じです。
「議会は、往々にして〈お喋りの場〉にすぎないといって冷笑される。だが、お喋りの場だからこそ、価値があるのではないだろうか。ごたごたを起こす陣笠議員にも価値はあるのであって、陣笠議員は頭がおかしいとか、とんちんかんなことを言うといってやっつけられるけれども、だからこそ、そうでなければ口の端にのぼらなかったはずの悪事も暴露されるのだし、悪事は人の口にのぼっただけで、是正されるばあいも少なくないのである。また、ときには善意の公僕が実効ばかり考えてとんでもないことをやりだし、自分は万能の神だとうぬぼれるようなばあいもある。内務省にはとくにこの手の官僚が多い。だが、いずれ議会で疑義が出るとなれば、彼らも用心せざるをえなくなるだろう。議会には代表機関としての能力、あるいは現実的能力があるかどうかはあやしいにしても、そこが批判とお喋りの場であり、そのお喋りがひろく伝えられる以上、私は議会を評価する。」(E・М・フォースター)
というわけで、国会議員には、しっかりと働いて行政に目を光らせていただくことがより現実的であるといえます。きちんと働くには多少余裕がなくてはなりません。何人かあるいは何十人かのダメな議員がいたとしても、そこは我慢しなくてはなりません。それは民主制の必要コストというべきもので、そこをあまりにケチると結局公務員の暴走を許すこととなり、それ以上の損失を招くというものですから。
いやもっと極論を言えば、いっそのこと衆議院議員なんかはひとりあたりの歳費を下げた上で、人数を倍にしてみたらどうでしょうか。とんでもない人が当選するかもしれませんが、なかには逸材も出てくると思います。そうなれば現状のように世襲議員が幅を利かせることも少なくなるのではないでしょうか。政治がもっと身近になるかもしれません。