「日本沈没」再訪

日本沈没」(小松左京)は、二度映画化されましたが、なんといっても印象深いのは、藤岡弘らが出演する最初の方の作品(1973年公開)です。この作品で首相(丹波哲郎)より存在感があるのは、政官財とにらみがきくフィクサー・渡老人(島田正吾)でしょうか。彼の指南と資金提供があって、日本海溝の調査や日本人退避計画が進んでいきます。
物語の最後で、調査計画の責任者だった田所博士(小林桂樹)と渡老人が、日本人について議論を交わします。日本人は若いとか苦労を知らないとか。まあ、ここまではよくある日本人論ですね。
 でも原作本には極めて印象的なくだりがあります。要約しますと、渡老人は、退避などせずに日本人は日本列島と心中する方がよかったという田所博士に対して、その考えを翻意させたうえで「田所さん、あんたは、何千万人かを救ったのじゃ。それでええじゃろ」とねぎらいます。そのうえで、(死に急ごうとする)「日本人というものは、わしにはちょっとわかりにくいところがあってな。わしは、純粋な日本人ではないからな、わしの父は清国の僧侶じゃった」と吐露するのです。
 つまり日本人退避計画は、日本人ではなく、中国の血をひくこの渡老人によって、かなりの部分が成し遂げられたということが最後の最後になって明らかにされます。
 いゃー、私は民族によって独特な思考があるとか集合的無意識があるとかいう考えにはあまり与しないのですが、このシーンには色々と考えさせられますねぇ…。
 今日、日本はデフレと不況に苦しみ「日本経済沈没」とも言えるような状況です。グローバル経済のなかで、どう日本経済がプレゼンスを保っていくのかという、難しい選択と行動を迫られています。
 この今日的命題を、「日本沈没」に当てはめますと、多くの日本人は、苦労して勝ち残ろうとするよりも、かえってこの国土に閉じこもり、むしろ貧乏になる道を選択することになるのではないか? 多くの日本人が海外に出ていったり、あるいは海外から多くの人々を招きつつ、一生懸命交渉し双方の主張をすり合わせ、ワイワイガヤガヤしながらやっていくことより、日本人は日本人同士で小さくつましくささやかに暮らす方を選択するのではないか? 過去の栄光を懐かしみ、グローバル経済への陰口を叩きつつ、四季豊かで美しいしかし狭い島々に籠城するのではないか? とまあ、そんな未来図が浮かんできてしまいます。田所博士が、日本人と日本列島は心中した方がよしとしたように…。(正直な話、私自身どちらかといえばこうした考え方に近いものがあります。)
 でも、そのうえで、ともすれば閉塞がちで自沈したがる傾向をもつこの日本を救ってくれるのは、渡老人よろしく、あの古き隣国のあのほとばしるようなエネルギーであるかもしれないなぁ…とも思います。あのエネルギーは、閉じて眠ろうとする日本を強引に揺り起こすかもしれない。日本よ眠らずにもっと我々中国と付き合ってくれとばかりに、日本にどんどん乗り込んでくる…。好む・好まないにかかわらず、日本人はこの圧倒的な潮流と向き合わざるを得ない。そして日本はある種のシフトチェンジをしたうえで、再び世界とコンタクトしてゆくかもしれないな…。
日本沈没」において脱出計画を終始鼓舞し続けた渡老人のルーツが中国にあるということは、そんな今日的想像を抱かせるような内容になっています。40年近く前に書かれた小説ですけど、いろいろと思いをはせる作品です。日本の経済的な沈没が迫る中、ぜひ一読をおすすめします。