いやな感じの1000万円

 某刑事事件の被疑者が逮捕されたが、この日本社会において、(恐らく)なんの後ろ盾もないまま、よく2年あまりも逃亡できたと思う。
 彼は1年以上も、大阪の建設会社で寮に住み込み、(恐らく)彼の人生で一番まともに働いた。どうして誰も気づかなかったのだと都会の無関心を嘆く声も聞こえるが、この件は、逆に日本社会のある種の健全さを示していると私は思う。
警察当局は(外交筋の圧力もあったからか)情報提供者に多額の「謝礼金」を懸けてきたが、金銭目当てで、仕事ぶりは真面目な容疑者を警察に突き出すような同僚がいなくてたいへんよかった。 
犯罪者を検挙するのは警察の仕事であり、私たち一般市民ではない。現行犯ならば、居合わせた市民は協力せざるを得ないだろうが、なんらかの問題のある行動や法に触れるような行動をしない限り、私たちは真面目な隣人を疑いの目で見るべきではない。
 相互監視の密告社会などまっぴら御免である。流れ者でも身分不詳な者でも、真面目に働く者が、食事と住居を得、ささやかな社内の娯楽(ボーリング大会)にありつけるぐらいの余地(しろ)を、日本社会も残していかなくてはなない。例えそれが犯罪者の逃げ「しろ」になったとしても、少なくてもそれが新たな犯罪の温床でない以上、その程度の「しろ」は必要である。そしてその「しろ」を自由と言い換えても、私はかまわない。身分証がなければ何もできない社会を、自由の欠如といわずして、なんというべきであろうか…。
そうした点で、今回最初の通報者が、医師という社会的責任の多少高い立場にいる者であったのならば、それはそれで仕方がないというわけである。