流行歌の世界には、夏が待ち遠しいとか夏が待ちきれないなどと云う歌詞が似合うが、いくらお暑いのが好きと唄っても、冷たい飲物と冷房装置が次の間に控えているからその様な事を云えるのであって、日本の夏は本来そんなによいものではない。住まいは夏を旨とすべしとは、兼好法師以来の言い伝えで、日本の住まいは冬の寒さを犠牲にしてでも紙と木で作り風通しを良くしてきたというのが通説である。土台日本の夏は厳しすぎる。
最初に閉口したのは維新後に来た外国人で、緯度の高いヨーロッパから来たものだから高温多湿のアジアの夏はなお耐えられる代物ではない。早速軽井沢や奥日光や雲仙といった所に避暑地を見出し夏をやり過ごしにかかる。以後日本人も彼らに習うようになり、観光資本が入って別荘街が出来る。むろん避暑地に避難出来るのはごく一部のお金持ちだけで、一般庶民は暑い暑いと云って真っ裸で行水するのが精精であったろう。どうにかこうにか夏を過ごせるようになったのは、経済発展の恩恵が国内に充満して、電気冷蔵庫や電気冷房を使えるようになった此処三十年のことである。そして兼好以来数百年分の憂さを晴らそうと自棄になって冷やし過ぎた揚句が此の有り様である。
そこでせめて今年は拙宅の電気冷房を断とうと思う。法師の云い付け通り窓を開ける。南北と東西に風の通り道をつくる。風の出入り口が泥坊出入り口になると困るので、一晩中開けっ放しには出来ないが、なるべく早起きして窓を開け朝の冷気を取り込んでおこうと思う。扇風機と換気扇は少少点けさせていただく。
早朝は真夏の日差し。昨夜は二時に寝て五時に起きたから三時間しか寝られず。今日も暑いのかと心配したが、午後から雲が出て東風が入り涼しくなる。また少し外に出て草を刈り猫をあやす。夕方から小雨。さらに涼しくなる。